ある企業が、新しい広告キャンペーンを実施したとします。これまでの調査から、商品の認知度が十分ではないことがわかっていました。そこで、広告によって認知を高めれば、購入を検討する人も増えるだろうと考えました。仮説には、それなりの根拠があります。

しかし、キャンペーン終了後の調査では、期待したほどの成果が確認できませんでした。このとき、企業はどう判断するべきなのでしょうか。

広告によって認知を高めるという考え方自体が間違っていたのでしょうか。
それとも、広告の内容や配信先、実施期間などに問題があったのでしょうか。
あるいは、施策には一定の効果があったものの、今回の調査では十分に捉えられなかった可能性もあります。

一度の結果から判断することは、簡単ではありません。ただ、このような場面で、私たちは二つの極端な考え方に陥ることがあるように思います。一つは、期待した成果が出なかったのだから、当初の考えは間違っていたと判断すること。もう一つは、施策そのものに問題はなく、実行方法が悪かっただけだと説明することです。

前者であれば、それまで積み重ねてきた知識や経験を簡単に捨ててしまうかもしれません。後者であれば、どのような結果が出ても、最初の考えを正しいものとして守り続けることができます。

では、どちらでもない判断はできるのでしょうか。

前回、マズローの欲求階層説について調べました。そこで気づいたのは、理論が広く知られていることと、その主張が実証的に支持されていることは別だということでした。しかし、新しい研究によって従来の理論と食い違う結果が得られたとき、私たちはその理論をどう扱えばよいのでしょうか。

Questionsマズローのピラミッドは、本当にマズローが描いたのか?欲求階層説から考える、「知っている」と「正しいと思っている」の違い。

今回は、20世紀の科学哲学を代表するカール・ポパー、トマス・クーン、イムレ・ラカトシュの議論を手がかりに考えてみたいと思います。三人は、科学の方法や発展について異なる考え方を提示しました。それぞれを比較しながら、何を根拠に自分の考えを維持し、どのようなときに見直すべきなのかを考えます。なお、冒頭の広告キャンペーンは、問題を説明するための仮想例です。

何度成功しても、次も成功するとは限らない

最初に、一つの有名な例を考えてみます。

「すべての白鳥は白い」

この主張を確かめるために、白鳥を観察するとします。最初に見つけた100羽は、すべて白い白鳥でした。さらに1,000羽、10,000羽と観察しても、白い白鳥しか見つかりません。これだけの数を調べれば、「すべての白鳥は白い」という主張は正しいように感じられます。

しかし、まだ観察していない白鳥も、必ず白いとは限りません。実際に、黒い白鳥は存在します。白い白鳥を何羽観察しても、世界中のすべての白鳥が白いことを論理的に証明することはできません。一方、黒い白鳥が1羽でも確実に存在するとわかれば、「すべての白鳥は白い」という普遍的な主張は成り立たなくなります。

ここには、興味深い非対称性があります。同じ事例を繰り返し観察することによって、ある法則が必ず成り立つと証明することはできない。しかし、その法則と矛盾する事例が確認されれば、少なくとも当初の主張は修正を迫られます。

この問題は、10月3日の記事で扱ったヒュームの帰納の問題とも関係しています。ヒュームは、過去の経験から未来について推測することを、論理的にどのように正当化できるのかと問いかけました。過去に同じことが繰り返し起きたという事実だけでは、未来も同じように起きることは保証されません。

Questions成功したブランドの共通点は、本当に成功要因なのか?ヒュームの帰納の問題から、成功事例の読み方を考える。

マーケティングの仕事でも、似た状況があります。ある広告手法が、これまで5回続けて成果を上げたとします。それでも、6回目に異なる市場や顧客を対象にしたとき、同じ結果になるとは限りません。市場環境や競合、商品の認知度などが違えば、成果も変わる可能性があります。

もちろん、過去に5回成功したという情報に意味がないわけではありません。ただし、その成功が何を示しているのかは、慎重に考える必要があります。そうした経験的な知識を、どのように検証すればよいのか。この問題に取り組んだ哲学者の一人が、カール・ポパーです。

ポパーは、なぜ「反証可能性」を重視したのか

カール・ポパー(1902〜1994)は、オーストリアに生まれた哲学者です。1934年に『研究の論理』を出版し、その後、1959年に英語版『The Logic of Scientific Discovery』が刊行されました。

ポパーが科学哲学において重視した概念の一つが、「反証可能性」です。これは、ある理論が間違っていると判断できるような観察結果を、少なくとも原理的には考えられるかどうかという問題です。

100回正しくても、
101回目に間違うかもしれない

「すべての白鳥は白い」という主張を確かめる

主張を支持する観察すべて白い

100羽

まだ見ていない白鳥も白いとは、証明できない

主張と矛盾する観察黒い白鳥を確認

1羽

「すべての白鳥は白い」という主張は否定される

普遍的な主張には、
確認と反証の論理的な非対称性がある。

ただし実際の研究では、観察や分類の正確さも確かめる必要がある。

※ポパーの反証可能性に関する議論をもとにした概念図です。

どのような結果が出れば、間違いだと認めるのか

例えば、広告の効果について、二つの主張を比べてみます。

どのような結果が出れば、
誤りだと判断できるか

主張Aどの結果でも維持できる

「この広告は、どのような結果になっても、何らかの形でブランドに影響を与えている」

  • 売上が伸びた → 広告の効果だ
  • 売上が伸びない → 認知度には影響しているかもしれない
  • 認知度も変わらない → 将来の購入に影響している可能性がある

何を確認すれば誤りだと判断できるのかが、わからない

主張B検証できる

「対象市場の特定の顧客層に対して、この広告を実施すると、一定期間後のブランド認知率が、実施しなかった場合よりも高くなる」

  • 対象と期間を具体的に定める
  • 測定方法を定める
  • 実施しなかった場合と比較する

調査結果によっては、仮説を支持できないと判断できる

※説明のために筆者が設定した仮想例です。

ポパーが重視したのは、理論が自分に都合のよい結果をいくらでも説明できることではありません。理論が、どのような観察結果によって誤りだと示され得るのか。その可能性があることを、科学と非科学を区別する重要な基準として考えました。

反証できる理論は、正しい理論なのか

ただし、ここには注意が必要です。反証可能であることと、その理論が正しいことは、同じではありません。例えば、「すべての白鳥は白い」という主張は、黒い白鳥が見つかれば否定され得るため、反証可能です。しかし、反証可能だからといって正しいわけではありません。

また、実際の科学研究で理論に反する結果が出たとき、その理論をただちに捨てなければならないとも限りません。測定に誤りがあった可能性があります。観察された対象を、正しく分類できていなかったのかもしれません。実験の条件が想定と違っていた可能性も考えられます。

ポパー自身も、論理的な反証可能性と、現実の研究において観察結果を反証として受け入れる方法論上の問題を区別していました。この違いは重要です。黒い白鳥が存在することを論理的に確認できれば、「すべての白鳥は白い」という主張は否定されます。しかし現実には、発見した鳥が本当に白鳥なのか、観察が正確なのかなどを確認する必要があります。

つまり、反証可能性は、科学的な検証において重要な考え方ですが、それだけで研究の進め方がすべて決まるわけではないのです。

科学者は、本当に毎日理論を疑っているのか

ポパーの議論を知ると、科学者は常に自分の理論が間違っていることを証明しようとしているように思えるかもしれません。しかし、実際の科学研究は、そのように進んできたのでしょうか。

この問題について、異なる視点を提示したのが、トマス・クーン(1922〜1996)です。クーンは、1962年に『科学革命の構造』を出版しました。その中で、科学の発展は、新しい事実を一つずつ積み重ねるだけの単純な過程ではないと論じています。

研究者は、共通の枠組みの中で問題を解いている

クーンの議論で重要なのが、「通常科学」という概念です。科学者たちは、すべての前提を毎日疑いながら研究しているわけではありません。

何を重要な問題とするのか。
どのような方法で調べるのか。
何を証拠として認めるのか。

そうした考え方や方法をある程度共有し、その枠組みの中で研究を進めています。クーンは、こうした共有された枠組みを説明するために「パラダイム」という概念を用いました。ただし、クーン自身も後に用語を精緻化しており、パラダイムを単なる世界観や思い込みと同じ意味で理解するのは不十分です。

通常科学では、研究者たちは共有された理論や方法を前提に、具体的な問題を解こうとします。例えば、ニュートン力学を使って天体の動きを研究する場合、研究者は毎回ニュートンの法則そのものを疑うところから始めるわけではありません。既存の理論を用いるからこそ、観測や計算を積み重ね、より精密な研究を進められます。

ここで重要なのは、理論を維持することにも意味があるという点です。新しい結果が一つ得られるたびに、これまでの理論や方法をすべて変更していては、研究を積み重ねることが難しくなるでしょう。

理論で説明できない結果が出たとき

しかし、既存の枠組みでは説明しにくい現象が見つかることがあります。クーンは、このような問題を「アノマリー(変則事例)」として論じました。

例えば、ある理論から予測された結果と、実際の観測が一致しなかったとします。研究者はまず、計算や観測方法、前提条件などを見直すかもしれません。新たな説明を考えることで、問題を解決できる場合もあります。

クーンが論じたのは、このような変則事例が見つかったからといって、直ちに理論全体が捨てられるわけではないということです。研究を進めるうえで深刻な問題が解決されず、共有された枠組みに対する信頼が揺らぐと、危機が生じる場合があります。そして、別の枠組みが従来の問題をよりよく扱えるようになると、科学革命が起こる可能性があります。

ここで重要なのは、すべてのアノマリーが危機につながるわけではなく、すべての危機が必ず科学革命に至るわけでもないということです。

「パラダイムシフト」は、単なる方針転換ではない

「パラダイムシフト」という言葉は、今ではビジネスでも広く使われています。従来とは違う戦略に変更することや、新しい事業モデルを採用することなどを、パラダイムシフトと呼ぶ場合があります。

しかし、クーンが論じた科学革命は、それほど単純なものではありません。研究者が何を問題として扱うのか。どのような説明を受け入れるのか。何を適切な研究方法と考えるのか。そうした科学研究の枠組み自体が変化することに関わります。

したがって、広告運用の方法を変更したことを、そのままクーンの意味での科学革命と呼ぶのは適切ではありません。ただ、既存の枠組みが研究や判断を進める助けになる一方で、その枠組み自体が新しい問題を理解する妨げになることもある、という視点は参考になると思います。

理論を守ることと、言い訳を重ねることは何が違うのか

ここまで、二人の哲学者を見てきました。ポパーは、理論が反証可能であることを重視しました。クーンは、科学者たちが共有された枠組みの中で研究を進め、必ずしも一つの反例で理論を放棄しないことに注目しました。

では、理論を維持することが合理的な場合と、単に間違いを認めたくないだけの場合は、どのように区別できるのでしょうか。この問いを考えるうえで参考になるのが、イムレ・ラカトシュ(1922〜1974)の議論です。

ラカトシュの「研究プログラム」

ラカトシュは、個々の理論だけでなく、関連する理論が時間とともにどのように発展していくのかを評価する考え方を提案しました。それが「科学的研究プログラムの方法論」です。中心となる基本的な前提を「ハードコア」、その周囲にある補助的な仮説などを「保護帯」と呼びます。

例えば、ニュートン力学で特定の惑星の位置を予測するには、中心となる力学の法則に加えて、天体の質量や位置、周囲の天体から受ける影響など、さまざまな条件を組み合わせる必要があります。予測と観測が一致しなかったとしても、中心理論そのものが誤っているとは限りません。周囲の天体の影響を見落としていたのなら、補助仮説を修正することで、新しい説明ができる場合があります。ラカトシュは、こうした理論の修正を、単なる間違いの隠蔽として一律に否定しませんでした。

進歩的な修正と、退行的な修正

重要なのは、その修正によって、研究がどのように前進するのかという点です。ラカトシュは、進歩的な研究プログラムと、退行的な研究プログラムを区別しようとしました。

修正によって、
新しい予測が生まれているか

ハードコアを守り、保護帯の補助仮説を修正するとき

Progressive進歩的な研究プログラム

  • 理論的な進歩:従来の理論では予測できなかった新しい事実を予測できる
  • 経験的な進歩:新しい予測の一部が、実際の観測によって裏づけられる

Degenerating退行的な研究プログラム

  • 予測が外れるたびに、結果に合わせて説明を追加する
  • 修正から、新しい予測が生まれない

後からいくらでも理由は説明できる。理論を守り続けているだけになるかもしれない

ここにも、単純な判断基準があるわけではない。

一時的に停滞していても、その後に新しい成果が生まれる可能性はある。数回の予測が外れたという理由だけで、直ちに放棄すべきだとは結論づけられない。

※Lakatos(1970)、Stanford Encyclopedia of Philosophy「Imre Lakatos」をもとに簡略化した図です。

ラカトシュの議論を通して、私が特に重要だと感じたのは、次の点です。

理論を修正したとき、その修正によって何が新しくわかるようになったのか。
過去の結果をうまく説明できるようになっただけなのか。
それとも、新しい観測や予測につながったのか。

この違いを考えることは、私たちが自分の判断を見直す際にも参考になるのではないでしょうか。

理論が予測と合わなかったとき、
何を問うか

ポパー・クーン・ラカトシュは何を重視したのか

  1. 01 カール・ポパー 反証可能性 どのような結果なら、理論の誤りを示せるのか。
  2. 02 トマス・クーン 通常科学と科学革命 共有された研究の枠組みは、どのような過程で変わるのか。
  3. 03 イムレ・ラカトシュ 研究プログラム 理論の修正によって、新しい予測と発見が生まれているか。

同じ答えを述べた3人ではない。

科学の検証・研究活動・理論の発展を、異なる角度から考えた哲学者たち。

※各哲学者の議論を理解するための簡略比較です。思想全体を一つの問いに還元するものではありません。

マーケティングで使われる理論は、どこまで正しいのか

ここからは、科学哲学の議論を、マーケティングの仕事に接続して考えてみます。例えば、広告やマーケティングで知られる「AIDA」というモデルがあります。Attention(注意)、Interest(関心)、Desire(欲求)、Action(行動)の頭文字を取ったものです。消費者が商品を購入するまでの過程を、段階的に整理するための考え方として紹介されます。

確かに、このモデルはわかりやすいと思います。顧客に商品を知ってもらう。興味を持ってもらう。欲しいと思ってもらう。そして、購入してもらう。企画やコミュニケーションを整理する際には、便利な考え方に見えます。しかし、実際の消費者は、必ずこの順番で行動しているのでしょうか。

広告効果の研究が示してきたこと

デメトリオス・ヴァクラツァスとティム・アンブラーは、1999年に『How Advertising Works: What Do We Really Know?』という論文を発表しました。250件以上の論文や書籍を検討し、広告の効果が必ず一定の時間的な順序で生じるという考え方について、十分な支持が得られていないと論じています。これは、AIDAのような単純な段階モデルだけでは、広告の働きを十分に説明できないことを考えさせます。

ただし、ここで「AIDAは完全に否定された」と結論づけるのも適切ではありません。その後の研究では、広告効果の順序そのものについて、新しい知見が示されています。

2023年の研究では、順序が見つかっている

例えば、アルバート・ヴァレンティらが2023年に発表した研究では、広告効果に一定の順序が存在することを支持する結果が得られました。ここで面白いのは、1999年の研究と完全に同じ結論ではないことです。ただし、単純に新しい研究が古い研究を否定したわけでもありません。

二つの研究は、
同じ方法で調べたわけではない

広告効果の順序をめぐる、1999年と2023年の研究

Vakratsas & Ambler|1999幅広い文献のレビュー

250件以上

効果が一定の順序で生じるという考え方に、十分な支持はない

認知・感情・経験の働きは、商品や市場、広告の目的によって異なる可能性がある

Valenti et al.|2023長期間のデータ分析

178ブランド

一定の順序を支持。最も多いのは「感情 → 認知 → 経験」

18の商品カテゴリー・7年間のデータで複数のモデルを比較。順序はすべてのブランドで同じではない

研究対象も、データも、
検討方法も異なる。

2023年の研究が示した順序も、すべての商品やサービス、市場に当てはまるとは断定できない。

※出典:Vakratsas & Ambler(1999)、Valenti et al.(2023)。

したがって、二つの研究を読む際には、どのような問いに対して、それぞれ何を明らかにしたのかを区別する必要があります。むしろ、広告効果の仕組みが、ブランドやカテゴリーによって異なり得ることが重要なのだと思います。

整理に便利なことと、予測できることは違う

ここまで調べて、マーケティングのモデルには、少なくとも整理する、説明する、予測するという異なる使い方があると感じました。

モデルに何を期待しているのか

同じモデルでも、使い方によって求められる根拠が変わる

  1. 01 整理する 顧客との接点を順に並べる わかりやすさが役に立つ。厳密な順序の正しさまでは求めない。
  2. 02 説明する なぜ購入したのかを考える ほかの説明と比べて、より妥当かどうかを確かめる必要がある。
  3. 03 予測する 投資でどれだけ成果が出るかを見積もる 実際のデータにどこまで適合するかを確かめる必要がある。

※本文の議論をもとに整理した独自の図です。

情報を整理するうえで便利なモデルが、必ずしも現実を正確に予測できるとは限りません。しかし、予測力に限界があるからといって、整理のための道具として価値がなくなるわけでもありません。大切なのは、モデルに何を期待しているのかを明確にすることだと思います。

効果が確認できなかったことは、効果がないことを意味するのか

もう一つ、考えておきたい問題があります。それは、調査や実験によって期待した効果が確認できなかったとき、どのように判断するかということです。

例えば、ある企業が、広告接触の増加によって購入意向が高まると考えていたとします。そこで比較実験を行いました。しかし、統計的に有意な差は確認できませんでした。この場合、「広告接触を増やしても購入意向は変わらない」と結論づけてよいのでしょうか。必ずしもそうとは限りません。

統計的に有意でないことの意味

統計的な検定では、得られたデータが特定の統計モデルや仮説とどの程度整合的なのかを検討します。ここで使われることがあるのが、p値です。ただし、p値を、仮説が正しい確率として理解することはできません。また、あらかじめ決めた有意水準を超えたかどうかだけで、効果の有無を断定することも適切ではありません。

アメリカ統計学会(ASA)は2016年に公表した声明で、p値の解釈や統計的有意性に関する誤用について注意を促しました。その中では、統計的有意性が、効果の大きさや実務上の重要性を表しているわけではないことも強調されています。

例えば、対象者数が少なく、推定値の不確実性が大きい調査だったとします。その場合、実際には一定の効果があっても、今回の調査では明確に捉えられなかった可能性があります。一方、十分な規模と精度を持つ研究によって、実務上意味のある大きさの効果は見込みにくいと示される場合もあります。この二つは、同じではありません。

したがって、結果を解釈する際には、有意差の有無だけでなく、効果の推定値や信頼区間、標本数、測定方法などを検討する必要があります。

では、効果がないという結果をいつ受け入れるのか

ここで難しいのは、どこまで調べれば十分なのかという問題です。一度の調査では結論が出ないからといって、調査を際限なく繰り返すわけにはいきません。時間や予算には制約があります。一方で、効果が確認できなかったという理由だけで、十分な根拠もなく施策を中止することにも問題があります。

私は、この判断では、効果が存在するかどうかという問いに加えて、実務上どの程度の効果が必要なのかを考えることが重要だと思います。例えば、一定以上の利益が見込めなければ、投資を継続する意味がない施策もあるでしょう。その場合には、単に統計的な差があるかどうかではなく、投資判断を変えるほどの効果が期待できるのかを評価する必要があります。

逆に、実行費用が小さく、失敗しても容易にやり直せる施策であれば、不確実性が残っていても試す価値があるかもしれません。ここでは、科学的な証拠の評価だけでなく、意思決定の目的や制約も考慮しなければなりません。

理論を守り続けることは、必ずしも悪いことではない

ここまで見てきたポパー、クーン、ラカトシュの議論は、同じ結論に向かう一つの理論ではありません。ポパーは、科学的な主張が批判的な検証に開かれていることを重視しました。クーンは、科学研究が共有された枠組みの中で進み、その枠組みが変化する歴史的な過程を論じました。ラカトシュは、個々の理論を超えて、研究プログラムがどのように発展するのかを評価しようとしました。

それぞれの問題意識には違いがあります。ただ、三人について学びながら、私は一つのことを考えました。新しい証拠に向き合うことと、それまでの知識をすぐに捨てることは、同じではないのではないかということです。

例えば、長年にわたって一定の成果を出してきたマーケティング施策があったとします。今回の調査では、期待した効果が確認できませんでした。そこで、今までの考え方をすべて間違いだったと判断することはできるかもしれません。しかし、過去に成果が出ていた理由を十分に理解しないまま、すべてを変更してしまえば、そこにあった有効な知識まで失う可能性があります。

一方で、「今までうまくいっていたのだから、今回の結果には問題があるはずだ」と決めつけるのも適切ではありません。それでは、どのような結果が出ても当初の考えを維持できてしまいます。

重要なのは、何を維持し、何を見直すのかを区別することだと思います。

前提を維持しながら、検証方法を変える

例えば、顧客の認知と購買行動の関係について、新しい調査結果が得られたとします。これまで使ってきた認知度の指標を、すぐに廃止する必要はないかもしれません。過去との比較を続けることで、長期的な変化を把握する価値があるからです。しかし、認知度だけで投資の成果を判断してきたのであれば、その判断方法は見直す必要があるかもしれません。

新しい比較実験を行い、実際の購買や利益への影響を推定する。異なる顧客層や商品カテゴリーでも、同じ関係が見られるのかを確認する。そうした取り組みを従来の測定と並行して進めることで、過去の知識を残しながら、新しい証拠を評価できます。

もちろん、すべての企業に、このような進め方が最適とは限りません。明らかに不適切な指標を使い続けることには、費用や判断ミスのリスクがあります。また、従来の方法を残すことで、変更への抵抗が生まれる可能性もあります。だからこそ、維持すること自体を目的にしないことが重要です。従来の方法を残す理由と、それを変更する条件を、あらかじめ考えておく必要があると思います。

理論を守るか、捨てるか。
その前にできること

新しい証拠が出たとき、判断をどう更新するか

Observation

期待と異なる結果が出た

検証すること 01

結果の確かさ

測定方法・比較条件・推定の精度は十分か

検証すること 02

前提と仮説

中心の考えと、変更できる条件を区別できるか

修正した仮説から、新しい予測を立てる

結果に合わせた説明で終わらず、次に何が起こるはずかを考える

Next Action

もう一度確かめる

新しい結果を受けて、考えを維持・修正・変更する

※科学哲学から着想を得た筆者独自の判断フレームです。三人の哲学者が共同で提唱した手順ではありません。

新しい証拠が出たとき、私はどう判断したいか

今回の学習を通して、私自身が実務で意識したいことを整理してみます。

まず、新しい結果が得られたときには、何が事実として確認できたのかを明確にしたいと思います。例えば、広告施策で期待した成果が出なかったとします。そのとき、実際に確認できたのは何でしょうか。

認知度が上がらなかったのでしょうか。
売上が伸びなかったのでしょうか。
それとも、今回の調査では効果を十分な精度で推定できなかったのでしょうか。

これらは、異なる結果です。次に、当初の考え方が、どのような前提に基づいていたのかを確認します。顧客の認知不足が本当の課題だったのか。広告を見た人の行動が、どのように変化すると予想していたのか。その予想を支える根拠は何だったのか。こうしたことを整理すれば、何を見直すべきかを考えやすくなります。

さらに、仮説を修正するのであれば、その修正によって新しく何を予測できるのかを考えたいと思います。例えば、認知度と購入意向の関係について、顧客の購入経験が影響しているのではないかと考えたとします。その仮説に意味があるなら、購入経験のある顧客とない顧客では、広告への反応に違いが見られるかもしれません。その違いを、次の調査で検証できます。

ここで重要なのは、得られた結果を説明するだけで終わらせないことです。新しい仮説が、まだ見ていない結果について何を予測するのかを考える。そうすることで、修正した考え方を、さらに検証できます。

ただし、こうした手順が、ポパー、クーン、ラカトシュの三人によって共同で提唱されたわけではありません。彼らの科学哲学を学んだうえで、私自身が事業の判断に応用しようとしている考え方です。

判断を変えることにも、判断を変えないことにも理由が必要になる

以前は、新しい証拠が出たとき、柔軟に考えを変えられることが大切だと思っていました。今でも、その考えは変わりません。ただ、今回の学習を通して、少し考えが増えました。考えを変えないことが、必ずしも悪いわけではないということです。

十分な根拠があり、新しい証拠だけではそれを覆せない場合には、これまでの考えを維持する判断も合理的かもしれません。一方で、今までの経験を守るために、都合の悪い結果を軽視し続けるのであれば、問題があります。だから、私は考えを変えるかどうかだけでなく、その判断をどのような根拠に基づいて行うのかを大切にしたいと思います。

どのような結果が得られたら、現在の考えを修正するのか。
どのような条件であれば、従来の方法を維持するのか。
そして、修正した仮説を次にどう検証するのか。

こうしたことを説明できる状態にしておきたいと思います。

おわりに|正しさを、持ち続けることはできるのか

私たちは、自分が正しいと思っていることを、できれば正しいままにしておきたいのかもしれません。経験を積み重ね、知識を増やし、ようやく身につけた考え方であれば、なおさらです。しかし、新しい事実に触れたとき、その考え方が以前ほど確かではなくなることがあります。それは、必ずしも悪いことではないと思います。

ポパーは、理論を厳しい検証にさらすことの重要性を論じました。クーンは、科学者が共有された枠組みを維持しながら研究を進め、ときにその枠組みが大きく変わる過程を示しました。ラカトシュは、理論を修正する際に、その修正が新しい予測や発見につながるかどうかを考えました。

それぞれの議論は異なりますが、科学が単に正しい答えを一つずつ集める活動ではないことを考えさせられます。これまでの知識が批判され、修正され、時には別の枠組みへと変わっていく。その過程自体が、科学の発展に関わっているのです。

私たちの仕事を科学研究と同じように扱うことはできません。企業の意思決定には、顧客や社員への責任、投資の制約、時間的な限界などがあります。それでも、今まで正しいと思っていたことを、どのように見直せばよいのかという問いは共通しています。

一度の失敗で、それまでの考えをすべて捨てる必要はないかもしれません。しかし、過去の成功を理由に、新しい証拠を無視し続けることもできません。大切なのは、何を根拠に今の考えを信じているのかを理解し、その根拠が変わったときに、自分の考えを更新できることなのだと思います。

今回、特に印象に残ったのは、ラカトシュが考えた、進歩的な修正と退行的な修正の違いでした。自分の考えを守るために、後から説明を追加しているだけなのか。それとも、新しい事実を理解し、これから起きることを予測するために、考えを発展させているのか。この違いは、今後も意識したいと思います。

正しいと信じてきた考えを維持することよりも、その考えが間違っている可能性に、どう向き合うか。そこに、学び続けることの難しさがあるのかもしれません。

そして、最後に一つ考えたいことがあります。

私たちは、自分の考えを深めるために検証しているのでしょうか。それとも、間違っていなかったことを確認するために検証しているのでしょうか。

この違いを忘れないようにしたいと思います。

参考文献・出典

以下は、本文における学術的な説明の主な根拠です。科学哲学を広告・マーケティング・事業判断に接続した箇所には、筆者自身の考察が含まれます。

  1. Popper, K. (1934/1959). The Logic of Scientific Discovery(『科学的発見の論理』)。反証可能性、科学と非科学の区別、批判的検証についての基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Karl Popper(新しいタブで開きます)
  2. Kuhn, T. S. (1962). The Structure of Scientific Revolutions(『科学革命の構造』)。通常科学、パラダイム、変則事例、科学革命についての基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Thomas Kuhn(新しいタブで開きます)
  3. Lakatos, I. (1970). Falsification and the Methodology of Scientific Research Programmes. 研究プログラム、ハードコア、保護帯、進歩的・退行的な問題移行についての論考。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Imre Lakatos(新しいタブで開きます)
  4. Vakratsas, D., & Ambler, T. (1999). How Advertising Works: What Do We Really Know?(新しいタブで開きます) Journal of Marketing, 63(1), 26–43. 250件以上の文献から広告効果のモデルを検討した研究。
  5. Valenti, A., Yildirim, G., Vanhuele, M., Srinivasan, S., & Pauwels, K. (2023). Advertising's sequence of effects on consumer mindset and sales: A comparison across brands and product categories(新しいタブで開きます). International Journal of Research in Marketing, 40(2), 435–454. 広告効果の順序とブランド・カテゴリーによる違いを検討した研究。
  6. Wasserstein, R. L., & Lazar, N. A. (2016). The ASA Statement on p-Values: Context, Process, and Purpose(新しいタブで開きます). The American Statistician, 70(2), 129–133. p値と統計的有意性についてのアメリカ統計学会の声明と解説。
  7. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Underdetermination of Scientific Theory(新しいタブで開きます)。観測結果だけで理論が一意に定まるとは限らないという、科学哲学上の問題に関する解説。