優れたブランドや広告キャンペーンの事例を調べていると、いくつかの共通点が見えてくることがあります。

一貫したブランドメッセージ。印象的なクリエイティブ。テレビCMとデジタル広告の連動。生活者のインサイトを捉えたコミュニケーション。

成功した企業をいくつも比較すると、こうした特徴が繰り返し登場します。

すると、「成功するブランドには共通した法則があるのではないか」と考えたくなります。

私自身、ブランディングやマーケティングの仕事に携わるなかで、多くの成功事例を調べてきました。

どのような戦略を立て、どんな表現を採用し、どういったメディアを組み合わせたのか。優れた施策の背景を調べることは、企画を考えるうえで大切な仕事の一つです。

ただ、最近は成功事例の読み方について、少し気になることがあります。

例えば、成功した10のブランドのうち、8つが統合的なプロモーションを実施していたとします。

このとき、私たちは「統合プロモーションはブランドの成功につながる」と考えてよいのでしょうか。

もしかすると、同じ施策を実行しても成功しなかったブランドが、ほかに数多く存在するかもしれません。

商品力や流通網、広告予算、市場環境など、別の条件が結果を左右していた可能性もあります。

成功したブランドに共通する特徴が、成功を生み出した原因であるとは限らない。

そう考えると、事例研究で本当に学ぶべきことも変わってきます。

今回は18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームが論じた「帰納の問題」を出発点に、選択バイアス、因果関係、反実仮想という考え方を整理しながら、ブランドの成功事例をどのように読み解くべきか考えてみたいと思います。

なぜ、成功事例には説得力があるのか

成功事例は、抽象的な理論よりも理解しやすいことがあります。

例えば、「ブランドには一貫したコミュニケーションが重要だ」と説明されても、それだけでは具体的なイメージが湧きにくいかもしれません。

しかし、誰もが知っている企業のキャンペーンを見せながら、その企業が長年にわたって一貫したメッセージを発信してきたことを説明されると、主張に説得力を感じます。

実際に成果を上げた企業が実行しているのだから、効果があるのだろう、と考えるわけです。

ここには、少なくとも二つの異なる判断が含まれています。

一つは、「その企業が実際にその施策を実行した」という事実です。

もう一つは、「その施策が成功を生み出した」という原因についての解釈です。

この二つは、同じではありません。

例えば、あるブランドが大型のテレビCMを開始した後に、売上を伸ばしたとします。

この事実からわかるのは、少なくとも広告の実施と売上の増加が、ある期間において続けて起きたということです。

しかし、売上が伸びた理由は、それだけではわかりません。

広告と同じ時期に新商品が発売されたのかもしれません。販売店が増えた可能性もあります。市場全体が成長していたのかもしれません。

あるいは、数年前から継続していたブランド活動が、時間差を伴って成果に結びついた可能性も考えられます。

もちろん、テレビCMが成果に貢献していた可能性も十分にあります。

大切なのは、実際に起きたことと、その原因についての説明を区別することです。

ところが、成功事例を紹介する文章では、この区別が曖昧になることがあります。

「この企業は、こうした戦略によって成功した」

そんな説明を読むと、私たちは施策と成果の間に明確な因果関係があるように感じます。

しかし、その説明は、事実の記録なのでしょうか。それとも、複数の可能性から選ばれた解釈なのでしょうか。

成功事例を研究するなら、まずこの違いを意識する必要があると思います。

ヒュームが問うた、経験から未来を推測することの限界

過去に観察した出来事から、まだ起きていない出来事について何かを推測する。

私たちは日常的に、このような考え方を使っています。

昨日まで売れていた商品は、明日も売れるだろう。
過去に反応がよかった広告表現は、次のキャンペーンでも効果があるだろう。
これまで成功してきたブランド戦略には、ほかの企業でも通用する要素があるだろう。

こうした推論は、一般に「帰納」と呼ばれます。

帰納と演繹は何が違うのか

論理学では、推論の仕方として演繹と帰納を区別します。

演繹は、前提が真であれば結論も必然的に真となるような推論です。

例えば、「すべての人間は死すべき存在である」「ソクラテスは人間である」という前提から、「ソクラテスは死すべき存在である」という結論を導きます。

一方、帰納は、観察された事例から、まだ観察していない事例や一般的な傾向について推測します。

例えば、ある広告表現を採用した企業が、繰り返し高い成果を上げているとします。

そこから「この広告表現は、ほかの企業でも効果があるのではないか」と考えるのが帰納的な推論です。

演繹と異なり、帰納では、観察した事例がすべて正しかったとしても、結論が必ず正しいとは限りません。

過去に成功した方法が、将来も成功するとは保証されないからです。

それでも私たちは、過去の経験をもとに未来を予測しています。

この推論は、何によって正当化できるのでしょうか。

ヒュームの「帰納の問題」

スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711〜1776)は、『人間本性論』(1739〜1740年)や『人間知性研究』(1748年)で、人間の知識や因果について検討しました。

その中で重要な位置を占めるのが、後に「帰納の問題」と呼ばれる議論です。

ヒュームが問題にしたのは、これまで繰り返し観察されたことが、これからも同じように起きると考える根拠です。

例えば、これまで火に近づけば熱さを感じてきたとします。

私たちは次に火に近づいたときも、熱さを感じるだろうと予測します。

しかし、過去に何度も同じことが起きたという事実だけから、次も必ず同じことが起きると論理的に証明できるでしょうか。

ヒュームは、この推論を正当化しようとすると難しい問題に直面すると考えました。

過去と未来が同じように振る舞うことを、論理的な必然性だけから導くことはできません。

では、「これまで自然は規則的だったのだから、これからも規則的だ」と説明すればよいのでしょうか。

しかし、その説明も、過去に観察された規則性が未来にも当てはまることを前提にしています。

つまり、正当化したいはずの考え方を、説明の中で先に使ってしまうことになります。

これが、ヒュームの議論の中心にある問題です。

なお、ヒュームは「経験から予測してはいけない」と述べたわけではありません。

『人間知性研究』第5節では、繰り返された経験によって期待が形成されることを、習慣や慣れの働きから説明しています。

重要なのは、私たちが経験から推測を行うという事実と、その推測がなぜ正当化されるのかという問題を区別したことです。

成功事例にも同じ問題がある

この議論をブランドの成功事例に当てはめて考えてみます。

ある企業が、一貫したブランドメッセージによって成功したとします。

別の企業も、同じように一貫したメッセージを採用して成功しました。

さらに多くの企業を調べても、似た特徴が見つかりました。

すると、一貫したメッセージがブランド成功の法則であるかのように見えてきます。

しかし、観察した事例が増えたからといって、その特徴が将来のすべての企業に当てはまるとは限りません。

対象となる市場が違うかもしれません。企業が持つブランド資産も異なります。競争環境や顧客の期待も変化します。

過去の事例は、これから何が起きるかを考える材料になります。

しかし、それ自体が未来の成功を保証するものではありません。

ここに、成功事例を研究するうえでの最初の限界があると思います。

成功した企業だけを見ていると、何を見落とすのか

帰納の問題に加えて、成功事例の分析には、さらに具体的な落とし穴があります。

それが「選択バイアス」です。

私たちは、どの企業を調べるかによって、得られる結論が変わってしまうことがあります。

成功した10ブランドのうち8つが同じ施策を使っていた

仮に、100のブランドが存在する市場を考えてみます。

このうち10ブランドが、ある期間に成功したとします。

成功した10ブランドを調べたところ、そのうち8ブランドが統合的なプロモーションを実施していました。

この数字を見ると、成功ブランドの80%が統合プロモーションを実施していたことになります。

そのため、統合プロモーションが成功に関係しているように思えます。

しかし、成功しなかった90ブランドについても調べると、どうなるでしょうか。

例えば、成功しなかった90ブランドのうち72ブランドも、同じように統合プロモーションを実施していたとします。

すると、全体の数字は次のようになります。

成功非成功合計
統合プロモーションあり87280
統合プロモーションなし21820
合計1090100

※理解のために作成した架空の数値です。

この場合、統合プロモーションを実施したブランドの成功率は10%です。

一方、実施しなかったブランドの成功率も10%です。

成功ブランドだけを見れば、80%が同じ施策を実行しています。

しかし、全体を比較すると、その施策を実行したかどうかによって、観察された成功率に違いはありません。

Figure 1

成功企業の80%が採用していた施策。
本当に効果があったのか?

100ブランドの架空データを使った説明

成功ブランド10社だけを見ると

80%

が統合プロモーションを採用

採用 8社非採用 2社

失敗したブランドも含めて調べると?

施策あり・80社

10%

が成功

成功 8社非成功 72社

施策なし・20社

10%

が成功

成功 2社非成功 18社

成功事例に多い特徴が、
成功率の高さを意味するとは限らない。

※架空の数値です。両群の成功率が同じでも、施策の因果効果がないと証明できるわけではありません。

もちろん、この数字だけで「統合プロモーションに効果がない」と結論づけることもできません。ほかの条件の違いが影響している可能性があるからです。

ここで示したいのは、成功した企業だけを見ていると、実際には存在しない特徴的な関係を見つけたように感じる場合があるということです。

生存者バイアスとは何か

このように、観察対象の選び方によって判断が偏る現象の一つが、生存者バイアスです。

例えば、成功して事業を継続している企業ばかりを調べ、撤退した企業や失敗した施策を分析対象から外してしまう場合があります。

成功例に共通する行動が見つかったとしても、失敗例でも同じ行動が取られていたなら、それを成功要因とみなすことには慎重になる必要があります。

統計学や計量経済学では、分析対象が特定の条件によって選ばれることで、推定に偏りが生じる問題が研究されてきました。

例えば、経済学者ジェームズ・ヘックマンは、1979年の論文で、標本の選択によって統計的な推定が歪む問題を扱っています。

ただし、ヘックマンの研究がブランドの成功事例を直接分析したわけではありません。

ここでは、観察する対象が偏っていると、得られる結論にも影響するという方法論上の共通点を参考にしています。

成功事例は、なぜ成功したのかを十分に説明していない場合がある

事例分析では、結果が出た後に、その結果へ至る過程が語られます。

成功した企業の戦略を紹介する記事は、読者が理解しやすいように、重要な意思決定や施策を整理しています。

それ自体は、情報を伝えるうえで必要な編集です。

ただ、編集された物語では、必ずしもすべての選択肢や失敗が説明されるわけではありません。

実行されなかった企画もあったかもしれません。
成果が出なかった施策もあったかもしれません。
市場の変化によって、当初の計画とは違う結果になった部分もあるでしょう。

最終的に成功した施策だけを見ると、初めから成功への道筋が明確だったかのように感じる場合があります。

しかし、実際の意思決定には、不確実性や試行錯誤が含まれていたはずです。

成功した後の説明と、成功する前の意思決定は、区別して考える必要があると思います。

成果が出たとき、何が原因だったといえるのか

ここまで、成功事例を観察することの限界について考えてきました。

しかし、成功した企業と失敗した企業を両方調べれば、それで成功要因がわかるのでしょうか。

実は、それだけでは十分ではありません。

次に問題になるのが、相関関係と因果関係の違いです。

同じ施策を実行した企業の成績がよくても、因果関係とは限らない

例えば、統合プロモーションを実施した企業の売上成長率が、実施しなかった企業より高かったとします。

この場合、統合プロモーションと売上成長の間に、統計的な関連がある可能性は考えられます。

しかし、そこから直ちに「統合プロモーションが売上を成長させた」とは結論できません。

統合プロモーションを実施できる企業は、そもそも広告予算が大きいのかもしれません。

商品開発に投資できる余力や、強力な流通網を持っている可能性もあります。

以前から高いブランド認知を獲得している企業が、統合プロモーションを選びやすいという関係も考えられます。

こうした別の要因が、施策の実施と成果の両方に影響している可能性があります。

つまり、施策と成果が一緒に観察されたとしても、その施策が原因だったと判断するには、さらに調べる必要があります。

反実仮想という考え方

因果関係を考えるうえで重要なのが、「反実仮想」です。

これは、実際には起こらなかった別の状況を考えることです。

例えば、あるブランドが広告キャンペーンを実施し、売上を20%伸ばしたとします。

このとき、本当に知りたいのは、「広告を実施した結果、売上が20%伸びた」という事実だけではありません。

もし、そのブランドが同じ時期に広告を実施していなかったら、売上はどうなっていたのか。

この問いが重要になります。

広告を実施しなくても、市場の成長によって売上が15%伸びていたかもしれません。

逆に、広告を実施していなければ売上が減少していた可能性もあります。

実際の結果と、広告を実施しなかった場合の結果を比べることで、広告そのものの効果を考えられます。

しかし、同じブランドについて、同じ時期に「広告を実施した世界」と「広告を実施しなかった世界」の両方を直接観察することはできません。

これが因果推論の難しさです。

Figure 2

広告を実施しなかったら、
どうなっていたのか?

施策の成果と、施策そのものの効果は違う

同じブランド・同じ時期広告キャンペーンを実施するか?

  1. 広告あり

    実際に観察した結果

    +20%

    売上成長率

    観察可能

  2. 広告なし

    実際には観察できない結果

    ?

    売上成長率

    反実仮想

知りたいのは、二つの結果の差。

しかし、同じブランドの同じ時期について、両方の結果を直接観察することはできない。

※数値は説明用の架空例です。実務では、実験や適切な比較対象を通して因果効果を推定します。

統計学者ポール・ホランドは、1986年の論文『Statistics and Causal Inference』で、潜在的な結果を用いた因果推論の考え方を整理しています。

この枠組みでは、何らかの施策を実施した場合と、実施しなかった場合の結果の違いを考えます。

ただし、両方を直接観察できないため、実験や適切な比較対象を用いて、その違いを推定する必要があります。

広告の効果を測ることは、想像以上に難しい

広告の因果効果については、実際に大規模な研究も行われています。

ランドール・ルイスとジャスティン・ラオは、2015年の論文『The Unfavorable Economics of Measuring the Returns to Advertising』で、米国の小売企業などを対象とした25件の大規模なフィールド実験を分析しました。

その結果、広告の投資収益率を精密に測定することが、非常に難しい場合があると指摘しています。

論文によれば、対象となった実験では、広告効果の推定値に大きな不確実性が残っていました。

顧客ごとの購買金額の変動が大きく、広告費に対する売上の変化を十分な精度で捉えるには、非常に大規模な実験が必要になる場合があるためです。

ここで注意したいのは、研究が「広告には効果がない」と結論づけたわけではないことです。

むしろ、広告の効果を厳密に測ろうとしても、その推定自体が難しいという問題を示しています。

実験を行えば、必ず明確な答えが得られるわけではありません。

ブランドへの好意や認知、将来の購買行動など、長い時間をかけて変化する指標を扱う場合には、観察期間や測定方法の選択も重要になります。

したがって、成功事例について「この施策が成果を生んだ」と語る場合には、その主張がどのようなデータや検証によって支えられているのかを確かめる必要があります。

それでも、成功事例を研究する意味はあるのか

ここまで読むと、成功事例を研究すること自体に、あまり意味がないように感じるかもしれません。

しかし、私はそうは考えていません。

むしろ、成功事例には大きな価値があると思っています。

ただし、その価値は「成功した施策を知ること」だけではありません。

成功事例は、新しい仮説を見つける材料になる

例えば、あるブランドが特定の市場で高い成果を上げているとします。

その背景を詳しく調べると、競合企業とは異なる顧客層を選び、価格競争を避けるような価値提案を行っていたことがわかるかもしれません。

この場合、事例から学べるのは、表面的な広告表現だけではありません。

市場をどう捉え、どの顧客を選び、どのような価値を提供しようとしたのか。

そうした意思決定の過程も研究対象になります。

事例をもとに「こうした条件では、この戦略が有効なのではないか」という仮説を考えることはできます。

そして、その仮説を別の事例やデータを通して検証していくことができます。

重要なのは、一つの成功事例をもって一般的な法則が証明されたと考えないことです。

一つの事例を深く調べる方法もある

社会科学では、個別の事例を詳しく研究する方法が発展してきました。

アレクサンダー・ジョージとアンドリュー・ベネットは、2005年の著書『Case Studies and Theory Development in the Social Sciences』で、事例研究を理論の構築や検証に役立てる方法を論じています。

その一つが「プロセス・トレーシング」です。

これは、単に結果と施策の組み合わせを見るのではなく、その間にどのような出来事や判断があり、想定した因果的な仕組みが実際に働いていたのかを調べる方法です。

例えば、ブランドが成功した理由を研究するなら、広告を実施したという事実だけでなく、施策以前の状況、戦略を選んだ理由、実行中の変化、顧客の反応、成果が現れた時期などを調べます。

もちろん、こうした調査を行っても、因果関係が必ず確定するわけではありません。

事後的な説明に頼りすぎたり、都合のよい資料だけを選んだりすれば、誤った結論に至る可能性があります。

それでも、完成した施策と最終的な成果だけを見るよりも、意思決定や変化の過程を理解しやすくなります。

事例研究は、統計分析や実験と対立するものではなく、異なる役割を持つ方法として組み合わせることができるのです。

成功事例は、正解ではなく問いを増やしてくれる

私が成功事例の研究で大切にしたいのは、すぐに模倣できる要素を探すことではありません。

なぜ、その企業はその市場を選んだのか。
なぜ、その表現が必要だったのか。
ほかにどのような選択肢があったのか。
どんな条件があったから、その施策を実行できたのか。
そして、実際に何が変わったのか。

こうした問いを持ちながら事例を読むことで、単に優れた表現を集めるよりも、多くのことを考えられるようになると思います。

成功事例を研究する価値は、必ずしも再現できる答えを得ることにあるのではありません。

自分がこれまで考えていなかった仮説や選択肢に出会えることにも、価値があるのではないでしょうか。

ブランドの成功を、何で測るのか

もう一つ考えておきたいことがあります。

それは、成功事例における「成功」とは、そもそも何を意味しているのかという問題です。

例えば、あるキャンペーンによって、SNSで大きな話題が生まれたとします。

投稿が拡散され、多くのメディアでも紹介されました。

その場合、話題化という観点では成功したと評価できるかもしれません。

しかし、それだけでブランド全体が成功したと判断できるでしょうか。

認知度が向上したのか。商品への理解は深まったのか。購入意向や実際の売上に変化があったのか。

さらに、その変化が一時的なものなのか、中長期的に続くものなのかによっても、評価は異なります。

ブランドの価値は、売上だけで捉えられるのか

ブランド研究者ケビン・レーン・ケラーは、1993年の論文で「顧客ベースのブランド・エクイティ」という考え方を提示しました。

これは、ブランドに関する知識が、そのブランドのマーケティングに対する消費者の反応に生み出す差異を指します。

ここでいうブランド知識には、認知だけでなく、ブランドに対する連想も含まれます。

この理論は、ブランドの価値を考える際に、単なる売上規模だけでなく、顧客がそのブランドをどのように認識しているかに目を向ける手がかりになります。

ただし、顧客ベースのブランド・エクイティと、企業の財務的なブランド価値を、そのまま同じものとして扱うべきではありません。

また、ブランド認知やイメージが改善したとしても、それだけで施策の投資対効果が確定するわけではありません。

ここでも、何を成功と呼ぶのかを明確にする必要があります。

例えば、短期間で売上を獲得することが目的のキャンペーンと、長期的なブランドの選択理由を育てる活動では、評価すべき成果や時間軸が異なる可能性があります。

成功事例を比較するなら、単に「成果が出た企業」を集めるだけでなく、何を成果として扱っているのかを揃えることが重要です。

そうしなければ、異なる目的を持つ活動を、同じ成功という言葉で比較してしまうことになります。

施策ではなく、意思決定と成立条件を研究する

Figure 3

成功事例を読み解く5つの視点

完成した施策から、その前後にある判断と条件へ視野を広げる

  1. 01課題・目的何を変えようとしていたのか
  2. 02仮説顧客や市場をどう理解していたのか
  3. 03施策選択なぜ、その手段を選んだのか
  4. 04成立条件予算・商品力・流通・組織など
  5. 05結果と検証何が変わり、何がまだ不明なのか

施策の模倣ではなく、
判断の根拠と成立条件を理解する。

※学術文献のモデルを転載したものではなく、本記事の考察として整理した枠組みです。

ここまでの議論を通して、成功事例の読み方について、自分の考えを整理してみたいと思います。

私が重要だと考えているのは、成功したブランドの施策を、そのまま再現しようとしないことです。

例えば、ある企業がテレビCMとデジタル広告、SNS、Webサイトを組み合わせたキャンペーンで成果を上げたとします。

そこから「統合プロモーションが重要だ」と結論づけることはできるかもしれません。

しかし、それだけでは十分ではないと思います。

そもそも、その企業は何を解決しようとしていたのでしょうか。

認知度を高めることが目的だったのか。購入を検討する人を増やしたかったのか。それとも、ブランドに対する認識を変えようとしていたのでしょうか。

また、なぜ複数のメディアを組み合わせる必要があったのでしょうか。

顧客の情報接触が複数の媒体に分散していたからなのか。各メディアに異なる役割を持たせるためだったのか。

そして、なぜその戦略が、その企業では実行できたのでしょうか。

十分な予算があったからかもしれません。社内の意思決定が迅速だったのかもしれません。すでに高いブランド認知があり、新しいメッセージを受け入れてもらいやすい状態だった可能性もあります。

こうした条件が異なれば、同じ施策を実施しても、同じ結果になるとは限りません。

成功事例を読むときの五つの視点

ここで、事例を研究するときに確認したいことを、五つに分けて整理してみます。

  1. 何を変えようとしていたのか
    その企業が直面していた事業上・顧客上の問題は何だったのか。施策の目的は何だったのか。
  2. どのような仮説を持っていたのか
    顧客や市場をどう理解し、どのような変化が成果につながると考えていたのか。
  3. なぜ、その手段を選んだのか
    ほかにどのような選択肢があり、なぜ特定のクリエイティブやメディア、施策を選択したのか。
  4. 何が成立条件だったのか
    予算、ブランド認知、商品力、流通、組織体制、市場環境など、結果に影響し得る条件は何だったのか。
  5. 実際に何が変わったのか
    観察できた結果と、施策による効果として推定できる部分はどこまで区別されているのか。十分に検証されていないことは何か。

これは、特定の研究者が提唱した完成済みのモデルではありません。

今回学んだ哲学や因果推論、事例研究の考え方を踏まえて、私自身が成功事例を読むために整理した観点です。

すべての事例で、必要な情報が公開されているわけではないでしょう。

広告予算や売上の詳細、検討した別の戦略、社内での意思決定など、外部からわからない情報も多くあります。

だからこそ、わからない部分を想像で埋めて、成功の理由を断定しないことが重要だと思います。

成功した企業が何を実行したかは、比較的調べやすいかもしれません。

しかし、なぜその企業がその施策を選び、どのような条件のもとで実行し、何が成果に貢献したのかを理解するには、もう一段深い調査が必要になります。

同じ施策を採用しないことが、最も重要な学びになる場合もある

成功事例を研究すると、そこで使われた施策を自分たちも実行したくなることがあります。

しかし、その企業と自分たちでは、置かれている状況が違います。

すでに高い認知度があるブランドと、ほとんど知られていないブランドでは、必要なコミュニケーションは異なるかもしれません。

購入頻度の高い商品と、数年に一度しか購入しない商品でも、顧客との接点や意思決定の過程は異なります。

事例の背景まで理解した結果、同じ施策を採用しない方がよいと判断することもあるでしょう。

それは、成功事例を参考にしなかったということではありません。

むしろ、その事例から意思決定の考え方を学び、自分たちの状況に照らして判断した結果だと考えられます。

私は、成功事例の研究には、こうした価値があると思っています。

成功法則を求めること自体に、問題はあるのか

一方で、ここまでの考え方にも反論はあると思います。

例えば、成功事例の因果関係を厳密に検証できなければ、何も参考にできないのでしょうか。

現実の仕事では、十分な実験や調査を行えるとは限りません。

予算も時間も限られています。

新しい市場に参入するときには、そもそも比較に使える事例が少ないこともあるでしょう。

そのような状況で、成功事例から共通点を見つけ、実行の参考にすることは合理的な判断ではないでしょうか。

私は、その考え方にも十分な意味があると思います。

不確実だからといって、判断できないわけではない

ヒュームの帰納の問題は、経験から未来を予測することの論理的な正当化を問うものです。

しかし、現実には、不確実な情報をもとに判断しなければならない場面が数多くあります。

私たちは、すべての因果関係が証明されるまで行動を止めることはできません。

統計的な証拠が十分ではなくても、過去の経験や類似事例を手がかりに、何らかの判断を下す必要があります。

重要なのは、その判断をどの程度確かなものとして扱うかです。

  • 「この施策には成功事例がある」
  • 「同様の条件を持つ複数の企業で、一定の効果が確認されている」
  • 「比較実験によって、増分効果が推定されている」

これらは、同じ強さの根拠ではありません。

事例の観察から得た仮説と、適切な方法で検証された因果効果は区別する必要があります。

一方で、後者についても、別の市場や時期にそのまま当てはまるとは限りません。

効果を推定することと、その結果をほかの状況に一般化することは、別の問題だからです。

不確実性を完全になくすことはできません。

それでも、何がわかっていて、何がまだ仮説なのかを明確にすることはできます。

そして、その区別ができれば、判断を見直すべき条件についても考えやすくなります。

すべての成功には固有性がある、という考えにも限界がある

反対に、成功した企業はどれも条件が異なるのだから、一般化できることは何もないと考えるのも極端でしょう。

ブランドやマーケティングに関する研究は、個別企業の違いを越えて、一定の傾向や因果的な関係を明らかにしようとしてきました。

事例を比較し、共通する条件を調べ、統計分析や実験によって仮説を検証することには意味があります。

重要なのは、成功法則を探すことそのものを否定することではなく、どの範囲で成立する法則なのか、その根拠を確かめることだと思います。

有効な考え方が存在する可能性と、それがすべての企業に当てはまるという主張は、同じではありません。

この違いを理解することが、成功事例を研究する際に必要なのではないでしょうか。

おわりに|成功した施策より、成功に至る判断を知りたい

優れたブランドの事例を調べることは、今後も続けていきたいと思っています。

よいクリエイティブに出会えば、その表現の背景を知りたくなります。

優れたブランド戦略があれば、なぜその方向を選んだのかを理解したくなります。

その関心自体が変わったわけではありません。

ただ、今回ヒュームの帰納の問題や因果推論について考えたことで、成功事例を読むときの視点は少し変わりました。

以前は、成功した企業がどのような施策を実行したのかに、強く関心を持っていました。

もちろん、今でもその内容は重要です。

しかし、これからは、その施策が選ばれるまでの意思決定や、成果につながったと考えられる条件にも、もっと目を向けたいと思っています。

ある企業が成功した方法を知ることと、なぜ成功したのかを理解することは、同じではありません。

そして、成功した理由をある程度理解できたとしても、その方法を別の企業で再現できるとは限りません。

成功事例には、学べることがたくさんあります。

ただし、そこで見つけた特徴を、そのまま成功法則として受け取らないこと。

その特徴がなぜ重要なのか、どのような条件で機能したのか、ほかの説明は考えられないのかを確かめること。

そうした姿勢を持つことで、事例研究は、単なる施策の模倣から離れられるのではないでしょうか。

成功事例で学ぶべきなのは、完成した施策だけではなく、その施策が選ばれた理由と、成立していた条件なのだと思います。

そして最後に、もう一つ気になることがあります。

成功した事例から学ぼうとするとき、私たちは本当に、事例を公平に見ているのでしょうか。

それとも、最初から自分が正しいと思っている考え方を裏づけるために、都合のよい事例を探しているのでしょうか。

成功事例をどう読むかという問題は、やがて、自分自身がどのように情報を選び、判断しているのかという問いにもつながっていきます。

参考文献・出典

以下の文献は、理論の出典と記事中の論点を確認するためのものです。個々の理論を現代のブランド戦略に結びつけた箇所には、筆者自身の解釈が含まれます。

  1. Hume, D. (1748). An Enquiry Concerning Human Understanding(『人間知性研究』)。特に第4節「知性の働きに関する懐疑的な疑念」と第5節。原典全文:Project Gutenberg(新しいタブで開きます)
  2. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Problem of Induction(新しいタブで開きます)。ヒュームの帰納の問題と、その後の哲学的な議論についての学術解説。
  3. Heckman, J. J. (1979). Sample Selection Bias as a Specification Error(新しいタブで開きます). Econometrica, 47(1), 153–161. 標本選択によって推定が偏る問題についての研究。
  4. Holland, P. W. (1986). Statistics and Causal Inference(新しいタブで開きます). Journal of the American Statistical Association, 81(396), 945–960. 因果推論と統計モデルについての研究。
  5. Lewis, R. A., & Rao, J. M. (2015). The Unfavorable Economics of Measuring the Returns to Advertising(新しいタブで開きます). The Quarterly Journal of Economics, 130(4), 1941–1973. 大規模な広告実験における効果推定の難しさを扱う研究。
  6. George, A. L., & Bennett, A. (2005). Case Studies and Theory Development in the Social Sciences(新しいタブで開きます). MIT Press. 事例研究、プロセス・トレーシング、比較研究の方法についての著書。
  7. Keller, K. L. (1993). Conceptualizing, Measuring, and Managing Customer-Based Brand Equity(新しいタブで開きます). Journal of Marketing, 57(1), 1–22. 顧客ベースのブランド・エクイティについての研究。

本文中の企業・数値の例は、論点を説明するための仮想例です。