ある企業が、社内業務へのAI導入を検討しているとします。試験的に導入したところ、これまで人が行っていた作業の時間を40%削減できました。検証方法にも大きな問題はなく、削減効果には十分な根拠があります。年間の人件費や外注費への影響を計算すると、相当な費用削減が期待できることもわかりました。

こうした結果を見れば、AIの導入を進めるべきだと考えるのは自然かもしれません。しかし、本当にそれだけで判断してよいのでしょうか。

業務時間を削減できても、その業務を通して社員が身につけていた知識や技術が失われるかもしれません。AIの判断に誤りが生じた場合、誰が責任を負うのかという問題もあります。また、効率化によって生まれた時間を、社員の成長や新しい仕事に使うのか、それとも単純な人員削減に充てるのかによっても、導入の意味は変わるでしょう。

もちろん、こうした懸念についても、できる限りデータを集めて検討する必要があります。ただ、仮にすべての情報を正確に把握できたとしても、それだけで取るべき行動が一つに決まるのでしょうか。私は、ここに数字による意思決定の難しさがあると思っています。

これまで、仕事においては感覚的な判断をできるだけ減らし、根拠のある提案や意思決定を行うことが重要だと考えてきました。今でも、その考えは変わりません。

しかし、データの正確さと、判断の正しさは、必ずしも同じではないのかもしれません。

今回は、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームと、20世紀初頭の哲学者G・E・ムーアの議論を入口に、帰結主義、義務論、分配的正義といった倫理学の考え方にも触れながら、数字だけでは決められない判断について考えてみたいと思います。なお、冒頭のAI導入の事例と数値は、論点を説明するための仮想例です。

数字が正確であれば、結論も正しいのか

マーケティングや事業開発では、成果を数字で示すことが求められます。

売上が何%伸びたのか。
ブランドの認知度が何ポイント改善したのか。
問い合わせから商談に進む割合はどう変化したのか。
投資した金額に対して、どれだけの利益が生まれたのか。

こうした数値を確認することは重要です。施策を実施する前に仮説を立て、実行後の成果を検証する。結果が期待と異なれば原因を調べ、次の判断に生かす。データに基づいて改善を進めることには、十分な意味があります。

しかし、ここで一つの問題があります。成果を測定するためには、まず何を成果として扱うかを決めなければならないということです。

例えば、企業が広告キャンペーンを評価するとします。認知度を重視するのであれば、広告によって商品を知る人がどれだけ増えたかが重要になります。短期的な売上を重視するのであれば、購買や利益への影響が判断材料になります。一方、長期的なブランドの信頼を育てることが目的なら、評価すべき内容や時間軸は異なるでしょう。

どの指標を採用するかによって、同じ施策の評価が変わることがあります。そして、何を成果として重視するのかは、数字を集める前から決められている場合が少なくありません。ここには、測定とは異なる判断が含まれています。

そもそも、何を目指すべきなのか。
何を犠牲にしてでも、その目標を達成してよいのか。
複数の目標が対立するとき、何を優先するのか。

これらは、単に数値を測定するだけでは解決しない問題です。もちろん、費用や利益を計算することが間違っているわけではありません。問題は、その計算結果から、どのような理由で行動を選ぶのかという部分にあります。

ヒュームが問うた、「である」と「すべきである」の違い

この問題を考えるうえで参考になるのが、デイヴィッド・ヒューム(1711〜1776)の道徳哲学です。ヒュームは『人間本性論』の第三巻第一部第一節で、従来の道徳に関する議論の進め方に、ある疑問を提示しました。

それまで事実について説明していた議論が、いつの間にか「すべきである」「すべきではない」という結論へ移っている。ヒュームは、このような推論の変化に注意を向けました。この一節は、後世に「is–ought問題」「事実と当為の問題」として広く議論されるようになります。

「効果がある」から「実行すべき」は導けるのか

例えば、ある広告施策について、次の事実が確認されたとします。

「この広告を実施すれば、ブランドの認知度が20ポイント上がる」

十分な実験によって、その効果が確かめられたとしましょう。この情報から、次のように結論づけたとします。

「したがって、この広告を実施すべきである」

一見すると、自然な説明です。しかし、二つの文をよく見てみると、途中に説明されていない前提があります。なぜ、認知度を20ポイント高められるなら、その広告を実施するべきなのでしょうか。

企業が認知度の向上を重視しているからかもしれません。認知度が将来の売上につながると考えているからかもしれません。あるいは、競合との競争において、ブランドを知ってもらうことが特に重要な状況なのかもしれません。いずれにしても、広告の効果についての事実だけでなく、その効果を実現することが望ましいという判断が含まれています。例えば、次のように整理できます。

  1. 「この広告は、認知度を20ポイント高める効果がある」
  2. 「現在の企業にとって、ほかの重要な条件を満たす限り、認知度を高めることを優先すべきである」
  3. 「したがって、この広告は実施すべき選択肢の一つである」

ここで初めて、事実についての説明と、行動を選ぶための価値判断が区別されます。もちろん、これだけで広告の実施が最終的に正当化されるわけではありません。費用や代替案、長期的な影響なども考慮する必要があります。ただ、何を重視しているのかが明らかになれば、その前提自体についても議論できるようになります。

事実が正しくても、
行動は自動的に決まらない

観察された結果と、何を優先するかという判断は分けて考える

Fact/検証された事実

広告によって認知度が20ポイント向上する

十分な検証によって効果を確認できたと仮定

間にある、まだ説明されていない前提

  • なぜ今、認知度を高めるべきなのか?
  • 費用や信頼への影響より優先されるのか?
  • ほかに望ましい選択肢はないのか?

Decision/意思決定

実施する・変更する・見送る

事実・価値判断・制約・代替案を踏まえて選ぶ

※ヒュームの事実と当為の問題を参考にした独自の概念図です。事実と規範的な前提を組み合わせても、ほかの条件の検討が不要になるわけではありません。

ヒュームは、事実から何も判断できないと言ったのか

ここは、誤解したくないところです。ヒュームの議論は、単純に「事実と価値は無関係である」と理解できるものではありません。『人間本性論』の当該箇所が何を意味するのかについては、研究者の間でも解釈が分かれています。

20世紀には、事実についての前提だけから、規範的な結論を論理的に導くことはできないという解釈が広く受け入れられました。一方、ヒューム自身の道徳哲学の全体を、そのような論理的な原則だけで説明することには異論があります。彼は人間の感情や道徳的な評価についても詳しく論じており、単に事実についての情報を無意味だと考えていたわけではありません。

私が今回の議論から学びたいのは、データを使った判断を否定することではありません。事実についての説明から、行動の正当化へと移るとき、どのような前提が使われているのかを確認することです。

数字が正しくても、その数字を何のために使うのかは別に考える必要がある。その違いを意識することで、意思決定の議論が少し変わってくるのではないでしょうか。

顧客満足度が高いサービスは、必ず「善い」サービスなのか

ここまで考えてきたのは、事実から行動への推論でした。次に、もう少し違う問題を考えてみたいと思います。それは、何を「善い」と考えるのかという問いです。

例えば、あるサービスの顧客満足度が非常に高かったとします。利用者の多くがサービスに満足しており、継続利用する人も増えています。その結果から、「このサービスはよいサービスだ」と評価することはできるでしょう。しかし、顧客満足度が高ければ、そのサービスはあらゆる意味で善いものだと言えるのでしょうか。

仮に、その高い満足度が、利用者には知らされていない不適切な労働条件によって支えられていたとします。あるいは、サービスへの満足度は高くても、利用者に重要な情報を十分に知らせないまま契約させていた場合はどうでしょうか。顧客満足度が高いという事実は、そのまま認めることができます。しかし、それでもなお「このサービスは善いのか」という問いは残るのではないでしょうか。

この問題を考えるうえで参考になるのが、G・E・ムーア(1873〜1958)の倫理学です。

ムーアの「開かれた問いの論証」

ムーアは1903年に『倫理学原理(Principia Ethica)』を出版しました。この著作で彼は、「善い」という概念を、快楽や欲求の充足といった自然的な性質によって定義しようとする考え方を批判しました。その中心的な議論が、後に「開かれた問いの論証」と呼ばれるものです。

例えば、「善いこと」と「快楽をもたらすこと」が、まったく同じ意味だったとします。その場合、「快楽は善いのか」と尋ねることは、実質的に「快楽は快楽なのか」と尋ねることと同じになるはずです。しかし、実際には「快楽をもたらすことは、必ず善いことなのか」という問いについて、私たちは意味のある議論をすることができます。

快楽を生み出していても、別の人に大きな苦痛を与える行為はどうでしょうか。自分にとって望ましい経験であっても、ほかの重要な価値を損なう場合はないでしょうか。ムーアは、こうした問いが開かれたままであることを、善という概念が自然的な性質と単純に同一ではないと考える理由にしました。

ヒュームとムーアは、同じ問題を論じていたのか

ここは区別しておく必要があります。ヒュームの事実と当為の問題は、主に事実についての記述から「すべき」という結論へ移る推論に関係しています。一方、ムーアの開かれた問いの論証は、「善い」という概念を、快楽などの自然的な性質と同じ意味で定義できるのかという問題に関わります。両者は関連していますが、同じ議論ではありません。

「すべき」の根拠と、
「善い」の意味は違う問い

David Humeヒューム|事実と当為の問題

  1. 事実売上が増える
  2. 規範的な結論だから実行すべき?

その推論には、どんな前提が必要なのか。

G. E. Mooreムーア|開かれた問いの論証

  1. 自然的な性質満足度が高い
  2. 善についての評価それは善いこと?

「善い」を、その性質と同じ意味で定義できるのか。

関連するが、同じ議論ではない。

ヒュームの議論は規範的な結論への推論、ムーアの議論は善の概念の分析が中心。どちらについても後世の哲学的な反論がある。

※Hume『人間本性論』、Moore『倫理学原理』を参考に構成しました。

また、ムーアの論証についても、現代の倫理学ではさまざまな批判があります。例えば、二つの概念の意味が異なっていても、それらが指している性質は同一である可能性があります。「水」と「H₂O」は意味の理解の仕方が異なりますが、科学的な研究によって同じ対象を指していることが明らかになりました。同様に、「善い」という概念が自然的な概念と異なるとしても、善という性質が何らかの自然的な性質と同一である可能性まで否定できるのか、という反論があります。

そのため、ムーアの開かれた問いの論証が、すべての倫理的自然主義を決定的に否定したと考えるのは正確ではありません。さらに、ムーア自身は善を単なる個人の好みと考えていたわけでもありません。彼は、客観的な道徳的真理が存在すると考える立場を取っていました。

それでも、この議論は、私たちが日常的に使っている「よい」という言葉について考える手がかりになります。顧客満足度が高いことは、重要な事実です。しかし、その事実を認めたうえで、そのサービスをどのような意味で善いと評価するのかを考える余地があります。企業の成果を示す指標と、企業の行動全体への評価は、完全に同じものではないのです。

結果がよければ、どのような手段でも許されるのか

では、何が善い行動なのかを考えるとき、私たちは何を基準にすればよいのでしょうか。倫理学には、さまざまな考え方があります。そのうち、特に重要な立場として、帰結主義と義務論があります。

帰結主義|行動がもたらす結果を重視する

帰結主義は、行為の道徳的な評価を、その行為がもたらす結果に基づいて考える立場の総称です。代表的な考え方の一つに、功利主義があります。

例えば、ある行政機関が問い合わせ対応をAI化することを検討しているとします。導入によって、多くの住民の待ち時間が短くなります。職員の負担も減り、ほかの業務に時間を使えるようになるかもしれません。こうした効果は、施策を評価するうえで重要です。

しかし、AIによる対応が難しい住民もいるかもしれません。高齢者や障害のある人、複雑な事情を抱えている人などが、適切な支援を受けにくくなる可能性があります。この場合、施策全体が生み出す便益だけでなく、誰にどのような不利益が生じるのかを考える必要があります。

帰結主義は、単に多数派が喜べばよいという考え方ではありません。少数の人が非常に大きな不利益を受ける場合、その不利益も、結果を評価する際に重要になります。

義務論|結果がよくても、許されない行為がある

一方、義務論では、行動がもたらす結果だけでなく、守るべき義務や原則を重視します。例えば、行政サービスを効率化するために、特定の住民が意図的にサービスを利用できないようにするとします。その結果、全体の費用を大幅に削減できたとしても、その行為が正当化されるとは限りません。人をどのように扱うべきか、どのような権利を尊重すべきかという問題があるからです。

ただし、守るべき義務同士が衝突した場合にどう判断するかは、簡単な問題ではありません。重要なのは、望ましい結果を生み出すことが、それだけですべての行為を許す理由になるわけではないという点です。

結果を重視するか、
守るべき原則を重視するか

行政サービスのAI化を、二つの立場から考える

Consequentialism帰結主義

施策は、誰にどのような結果をもたらすか

待ち時間の短縮という便益と、支援を受けにくくなる人の不利益をあわせて評価する

Deontology義務論

結果がよくても、許されない手段はないか

費用を削減できても、特定の住民を意図的に利用できなくすることは正当化されるとは限らない

二つを並べても、自動的に正解が出るわけではない。

帰結主義は「数字が大きい方を選ぶ考え方」ではなく、義務論も結果を一切考慮しないわけではない。どちらも内部にさまざまな立場があり、どの立場を採用するかも倫理学の重要な議論の一つ。

※本文の議論をもとに整理した独自の図です。

二つの立場を比較して考える

先ほどの行政サービスの例では、多くの住民にとっての利便性も、一部の住民が必要なサービスを利用できなくなる問題も、どちらも無視できません。ただ、効率化を進めるか中止するかという二択にする必要はないでしょう。AIによる対応を導入しながら、必要な人には有人対応も残す方法が考えられます。

ただし、予算や人員が十分でない場合、必ず両立できるとは限りません。そのときには、何を優先するのかという判断が必要になります。

公平に分けることは、同じ量を分けることなのか

さらに、意思決定には、限られた資源を誰にどのように配分するかという問題があります。これは「分配的正義」と呼ばれる領域に関係しています。

例えば、ある自治体が行政の効率化によって、年間1億円の予算を新たに使えるようになったとします。その予算を、二つの目的に使いたいと考えています。一つは、デジタルサービスを利用しにくい住民のために、有人支援を維持・改善すること。もう一つは、生活に困難を抱える世帯への支援を拡充することです。

どちらも重要な目的に見えます。しかし、予算は1億円しかありません。この場合、どのように分配することが公平なのでしょうか。

半分ずつ分ければ、公平なのか

最初に考えられるのは、それぞれに5,000万円ずつ配分する方法です。二つの目的を等しく扱うという意味では、公平に感じられます。しかし、その配分によって、実際に何ができるのでしょうか。

例えば、有人支援を十分に維持するためには、最低でも7,000万円が必要だったとします。一方、生活困窮世帯への支援についても、5,000万円では重要な制度を維持できないかもしれません。そうであれば、半分ずつ分けることによって、どちらの目的も十分に達成できない可能性があります。

反対に、一方へ多く配分することで、深刻な不利益を回避できる場合も考えられます。もちろん、それだけで一方に全額を配分するべきだとも言い切れません。もう一方の支援が不足することで、別の人々が深刻な不利益を受ける可能性があるからです。

ここで重要なのは、同じ金額を配ることと、公平な状態をつくることが、必ずしも同じではないという点です。

1億円をどう分ければ、公平なのか

行政の効率化で生まれた予算を、二つの支援に配分する仮想例

配分できる予算1億円

案A|均等に配分

5,000万円ずつ

有人支援 50%生活支援 50%

金額は等しい。しかし、どちらも十分な支援を実施できるだろうか。

案B|一方へ重点配分

7,000万円 / 3,000万円

有人支援 70%生活支援 30%

一方の支援を充実できる。しかし、もう一方に生じる不利益はどう評価するのか。

配分を決める前に、確かめること

  1. 必要性誰が、どの程度困っているのか
  2. 実効性配分した金額で支援が成立するのか
  3. 保障最低限守るべき機会や権利は何か
  4. 代替案ほかの資金や実施方法はないのか

均等な配分が、
必ずしも公平な機会を生むわけではない。

どちらの配分が望ましいかは、必要性・政策効果・守るべき原則などの具体的な条件によって変わる。

※ロールズの分配的正義とセンらのケイパビリティ・アプローチを考える手がかりにした独自の図解です。いずれかの配分案を正当化する学説上の結論ではありません。

ロールズの正義論

分配的正義を考えるうえで重要な思想家の一人が、ジョン・ロールズ(1921〜2002)です。ロールズは1971年の『正義論(A Theory of Justice)』で「公正としての正義」と呼ばれる考え方を提示し、社会の基本的な制度がどのような原則に基づいて設計されるべきかを考えました。その中には、社会的・経済的な不平等が、最も不利な立場にある人々にとって最大の利益につながるように制度を設計すべきだとする「格差原理」があります。

ただし、最も不利な立場の人々をどう定義するかについても議論があり、先ほどの自治体の予算配分に、格差原理をそのまま当てはめて答えを決めることはできません。

センのケイパビリティ・アプローチ

もう一つ参考になるのが、経済学者・哲学者アマルティア・センが発展させた「ケイパビリティ・アプローチ」です。この考え方では、人が保有する資源の量だけでなく、実際に何ができるのか、どのような生き方を選べるのかという可能性に注目します。同じ金額の支援を受けても、健康状態や障害の有無、生活環境などによって、その資源を活用できる条件は異なるからです。この議論は、等しい資源の配分と、実質的な機会の保障を区別するうえで参考になります。

公平さにも、異なる考え方がある

二つの議論を並べると、公平という言葉も、一つの意味で使えるわけではないことがわかります。

公平さを考える手がかりも、
一つではない

ロールズとセンは、分配の何に目を向けたのか

John Rawls|1971格差原理

不平等は、最も不利な立場にある人々の最大の利益になるように

  • 困っている人へ予算を優先配分するルールではない
  • 社会の基本構造についての議論で、平等な基本的自由や公正な機会均等の原則と一体

合計の便益ではなく、不利益がどう分配されるかを考える視点になる

Amartya Senケイパビリティ・アプローチ

資源の量だけでなく、実際に何ができるのか

  • あらゆる予算配分について、具体的な正解を示すわけではない
  • どの能力や機会を重視し、どう比較するのかという問題は残る

同じ1万円でも、健康状態や生活環境によって実現できることは異なる

「公平」という言葉の、異なる使い方

  1. 01均等すべての人に同じ量を分ける
  2. 02必要性必要性の高い人を優先する
  3. 03総便益社会全体の便益を大きくする
  4. 04権利基本的な自由や権利を保障する
  5. 05機会人々が実際に選べる機会を増やす

これらは、必ずしも同じ結論に至らない。

どれか一つだけが常に正しいと決めることも難しい。

※Rawls『正義論』、Stanford Encyclopedia of Philosophy「John Rawls」「The Capability Approach」をもとに整理した独自の図です。

だからこそ、公平な配分を考える際には、自分がどのような公平さを重視しているのかを明確にする必要があるのだと思います。

企業のブランド活動では、何を「よい成果」と呼ぶのか

ここまで、AI導入や行政サービスを例に考えてきました。では、ブランドやマーケティングの仕事では、どうでしょうか。例えば、ある企業が、予測される成果の異なる二つの広告案を検討しているとします。

認知を大きく伸ばす案と、
信頼を育てる案

何を成果として測るかで、選ぶ理由が変わる

A案強い表現で話題を集める

+20pt

認知度の向上だけを目的とするなら、選びたくなる

一部の生活者に誤解を与えたり、強い反発を招いたりする可能性がある

B案商品を丁寧に説明する

+10pt

長期的な信頼を重視するなら、選ぶ理由がある

顧客との信頼関係を長期的に育てられる可能性がある

目標が変わると、評価の仕方も変わる(SNSアカウントの例)

  1. 注目を広げるフォロワー数を増やす幅広い人々の注目を集める投稿が重要になる
  2. 関係を深める既存顧客との関係を深める投稿の評価方法そのものが変わる
  3. 理解を深めるサービスへの理解を深めてもらう反応数よりも、必要な情報が適切に伝わったかを重視する

予測どおりになるかは、別に確かめる。

A案の反発が一時的なものなのか、B案の信頼形成が本当に長期的な成果につながるのかは、まだわからない。

※筆者が設定した仮想例です。数字も結果も架空のものです。

どちらを選ぶべきかは、何を成果として測るのかによって変わります。

KPIを決めることは、価値判断でもある

SNSの企業アカウントのように、どのようなKPIを設定するかによって、担当者が選ぶ施策も変わります。そのKPIが何を測定しているのかだけでなく、なぜその指標を重要と考えるのかも検討する必要があります。

指標を設定することは、単なる測定方法の選択ではありません。何を実現したいのかという判断を、測定できる形に落とし込む仕事でもあります。ここに、マーケティングにおけるデータ活用の難しさがあると思います。

成果が大きくても、採用しない施策があってよい

もう一つ重要なのは、成果が期待できるとしても、それだけで採用を決める必要はないということです。例えば、生活者の誤解を意図的に誘うような表現によって、短期的な購入を増やせる可能性があったとします。仮に効果が実証されていたとしても、企業はその施策を実行するべきでしょうか。法律や業界の規範、顧客との信頼関係などを考慮する必要があります。

私は、成果が期待できることと、その方法を採用することが望ましいかどうかを区別する必要があると思います。そして、この区別は企業にとって単なる理想論ではありません。長期的な信頼を損なう行動が、将来的な事業成果にも影響する可能性があるからです。

ただし、倫理的に望ましい行動が、必ず経済的にも利益を生むと断定することも避けたいと思います。倫理的に守るべきだと考える原則と、事業上の成果が衝突する場合もあるでしょう。そのとき、最終的に何を選ぶのか。ここには、企業としての価値観や、経営上の責任が表れるのではないでしょうか。

すべてを数字で比較できれば、価値判断は不要になるのか

ここまでの議論には、一つの反論が考えられます。

「価値判断が必要だとしても、それぞれの影響を数字に置き換えれば、合理的に比較できるのではないか」

例えば、AI導入による費用削減額と、教育費用、品質管理費用、雇用への影響などを推計します。顧客の利便性や社員の負担についても、何らかの指標を設定します。それらを総合的に評価すれば、どの方法が最も望ましいかを判断できるかもしれません。

この考え方には意味があると思います。特に、何を重視するかについて関係者の合意があり、それぞれの選択肢の影響を比較できる場合には、定量的な評価は非常に有効です。複雑な判断を整理するために、費用便益分析や多基準評価などを使うことにも価値があります。ただし、ここでも価値判断がなくなるわけではありません。

何を評価項目に含めるのか。
異なる項目にどのような重みを与えるのか。
誰の利益や不利益を評価対象にするのか。
将来の利益と現在の損失を、どのように比較するのか。

これらを決める際には、何らかの判断が必要になります。数字によって比較できるようになったとしても、その数字をどのような基準で集約するかという問題が残るのです。

価値判断が含まれるからといって、測定が無意味になるわけではない

ここは、強調しておきたいと思います。価値判断が必要であることは、データに基づく意思決定を否定する理由にはなりません。

例えば、行政サービスへのアクセスを保障することが重要だと考えたとします。その場合、どのような住民が利用しにくい状況にあるのかを調べる必要があります。必要な支援の規模や費用も、できる限り正確に推定しなければなりません。何を実現したいかという価値判断と、それを実現するために何が有効かという事実の検証は、互いに必要な関係にあります。

目的について合意したとしても、その目的に合う手段が正しく選ばれるとは限りません。反対に、手段の効果を正しく理解できても、その目的を優先すべきかどうかについては、別の議論が必要です。重要なのは、数字か価値観かという二者択一にしないことだと思います。

数字を読むとき、私は何を確かめたいか

今回の学習を通して、私自身が仕事で意識したいことが少し明確になりました。まず、数字については、これまで以上に厳しく確認したいと思います。何を測定しているのか。どのような方法で推定したのか。その数値から、どこまでのことが言えるのか。これは、これまで学んできた論理学や因果推論、科学哲学ともつながる問題です。

しかし、今回の倫理学の議論を通して、もう一つの問いが加わりました。その数字が正しいとして、なぜその成果を実現するべきだと考えるのか。

例えば、ある施策によって業務時間を40%減らせるとします。その効果が正しいことを確かめた後にも、まだ考えるべきことがあります。効率化によって生まれた時間を、何に使うのか。その施策によって、誰に利益が生まれ、誰に負担がかかるのか。そして、成果を生み出すとしても、許されない手段はないのか。こうした問いについても、できる限り具体的に説明したいと思います。

判断を整理するための五つの視点

現時点では、次の五つを区別して考えることが重要だと感じています。

判断を整理するための五つの視点

  1. 01事実何が実際に起きているのか。どのようなデータによって確認できるのか。
  2. 02予測と不確実性施策を実施した場合、何が起きると考えられるのか。その予測には、どの程度の不確実性があるのか。
  3. 03目的何を実現したいのか。なぜ、その成果を優先するのか。
  4. 04制約成果が期待できるとしても、守るべき権利や義務、法令、組織としての原則はないのか。
  5. 05配分と代替案誰が利益を得て、誰が不利益を受けるのか。別の方法で、より望ましい結果を実現できないのか。

※特定の哲学者が提唱した公式ではありません。今回学んだ考え方を踏まえ、筆者が意思決定を整理するために考えた視点です。

ただし、この五つを確認すれば、必ず正しい答えが出るというものではありません。複数の価値が衝突するときには、何を優先したのか、その理由を説明することが必要になると思います。

価値判断の違いは、解消しなければならないのか

ここで、もう一つ考えたいことがあります。同じ事実を共有していても、関係者の結論が一致しないことがあります。例えば、ある施策によって事業の利益が増えることについては、全員が同意していたとします。それでも、その利益を新しい事業へ投資するのか、社員への還元に使うのか、顧客への価格引き下げに使うのかについては、意見が分かれるかもしれません。

このとき、どちらかが事実を理解していないとは限りません。何を重視するかが異なっている可能性があります。もちろん、その価値判断も、ほかの人から批判される余地があります。

特定の人の利益だけを重視していないか。
不利益を受ける人の立場が十分に考慮されているか。
目的と手段の関係は適切か。

こうしたことを議論する必要があるでしょう。しかし、意見が一致しないこと自体を、単なる情報不足として扱うべきではないと思います。十分な情報を得ても、価値判断が異なることはあります。だからこそ、事実についての合意と、何を優先するかについての合意は、分けて考えたいと思います。

おわりに|数字は、何を大切にするかまで決めてくれるのか

これまで私は、正しい判断をするためには、できる限り正しい情報を集めることが重要だと考えてきました。今でも、それは必要なことだと思います。しかし、今回ヒュームやムーアの議論を学び、帰結主義や義務論、分配的正義について考える中で、一つのことが気になりました。情報が正確になれば、必ずしも取るべき行動が一つに決まるわけではないということです。

同じ数値を見ていても、何を実現したいのかによって、評価は変わるかもしれません。同じ成果が期待できても、その過程で誰にどのような不利益が生じるのかによって、判断が分かれることがあります。そして、どのような行動を許すのかについて、異なる原則を持つ人々がいるかもしれません。

これは、数字を重視することが間違っているという話ではありません。むしろ、何を大切にするのかを決めた後にも、数字は必要です。ある方法が本当に目的を実現できるのか。どの程度の費用が必要なのか。誰にどのような影響が生じるのか。そうしたことを、可能な限り確かめる必要があります。ただし、その情報をもとに何を選ぶのかについては、もう一つの判断が必要になります。

私が今回学んだのは、事実についての正しさと、行動についての正しさを区別することでした。これからも、データに基づいて考える姿勢は大切にしたいと思います。そのうえで、なぜその数値を成果として重視しているのか、誰にとって望ましい判断なのか、そして何を犠牲にする可能性があるのかも考えたいと思います。

数字は、判断の根拠にはなっても、判断そのものの代わりにはならない。そう考えると、マーケティングや事業開発における意思決定も、少し違って見えてきます。

最後に、自分自身へ一つ問いを残しておきたいと思います。

私たちは、成果を最大化する方法を考える前に、何を成果として目指すべきなのかを、十分に考えているのでしょうか。

参考文献・出典

以下は、本文中の学術的な説明についての主な参照文献です。企業や行政の事例は説明のための仮想例であり、現代の実務への接続には筆者自身の解釈が含まれます。

  1. Hume, D. (1739–1740). A Treatise of Human Nature(『人間本性論』)。特に第三巻第一部第一節。事実と当為についての問題が論じられる箇所。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Hume's Moral Philosophy(新しいタブで開きます)
  2. Moore, G. E. (1903). Principia Ethica(『倫理学原理』)。善の定義と開かれた問いの論証についての基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Moore's Moral Philosophy(新しいタブで開きます)
  3. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Moral Naturalism(新しいタブで開きます)。ムーアの開かれた問いの論証と、倫理的自然主義からの反論についての解説。
  4. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Consequentialism(新しいタブで開きます)。帰結主義と功利主義、結果の評価をめぐる議論。
  5. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Deontological Ethics(新しいタブで開きます)。義務論の基本的な考え方と、帰結主義との違いについての解説。
  6. Rawls, J. (1971). A Theory of Justice(『正義論』)。公正としての正義と、社会的・経済的不平等の正当化についての基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — John Rawls(新しいタブで開きます)
  7. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Original Position(新しいタブで開きます)。格差原理と、公正としての正義の構造についての解説。
  8. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Capability Approach(新しいタブで開きます)。アマルティア・センらが発展させた、資源の量と実質的な機会を区別する枠組みについての解説。