マーケティングや経営学、心理学について学んだことがある人なら、一度はマズローの欲求5段階説を見たことがあるのではないでしょうか。ピラミッドの一番下に生理的欲求、その上に安全欲求、所属と愛情の欲求、承認欲求、そして頂点に自己実現欲求。

人間の欲求は段階的に高まっていく。下位の欲求が満たされることで、上位の欲求が現れる。そんな説明とともに、五つの階層を持つピラミッドの図が紹介されます。

私自身、この図を何度も見てきました。人間の欲求を理解するための基本的な理論として、特に疑問を持つことなく受け入れていたように思います。

しかし、原著を確認してみると、意外なことがわかりました。マズローが1943年に発表した論文には、あの有名なピラミッド図が登場しないのです。さらに調べると、私たちが知っているピラミッドの形は、後の時代に経営教育などを通じて広まったものであることがわかります。

では、ピラミッドを描いたのは誰なのでしょうか。そして、そもそもマズローの欲求階層説は、どこまで実証されているのでしょうか。

この問題に興味を持ったのは、単に有名な図の意外な由来を知ったからではありません。もっと気になったことがあります。自分ではよく知っていると思っていた理論について、実際には原著を読まず、広く知られている説明をそのまま受け入れていたのではないか。

私たちは普段、何を根拠に「知っている」と言っているのでしょうか。

今回はマズローのピラミッドを入口に、知識とは何かを考えてきたプラトン、デカルト、そしてエドマンド・ゲティアの議論にも触れながら、この問いについて考えたいと思います。

マズローの欲求階層説は、もともとどのような理論だったのか

アブラハム・マズロー(1908〜1970)は、アメリカの心理学者です。1943年、学術誌『Psychological Review』に論文『A Theory of Human Motivation』を発表しました。この論文でマズローは、人間の動機づけを理解するために、いくつかの基本的な欲求を整理しています。

よく知られている五つの欲求は、この論文にも登場します。生理的欲求。安全の欲求。所属と愛情の欲求。承認の欲求。そして自己実現の欲求です。

彼は、これらの欲求には相対的な優先順位があると考えました。例えば、食べ物も安全も人とのつながりも得られていない極端な状況では、人は食べ物を得ることを強く求めるかもしれません。一方、食べ物が十分に得られる状態になれば、それまで後回しになっていた別の欲求が重要になる可能性があります。このような考え方が、欲求階層説の基本にあります。

五つの欲求は、順番どおりに現れるのか

ここで、一般的なピラミッドの説明と原著の内容には、少し違いがあります。ピラミッドを見ると、下の段階が満たされてから、一つ上の段階へ進むような印象を受けます。まるでゲームのステージを順番にクリアしていくような構造です。

しかし、マズローは原著の第3部で、欲求の階層はそれほど厳密に固定されたものではないと述べています。例えば、愛情よりも承認を強く求める人がいること。創造的な活動を、ほかの欲求が満たされていない状況でも強く求める人がいること。また、複数の欲求は、部分的に満たされた状態で同時に存在し得ます。

もちろん、マズローは欲求の相対的な優先順位を重要な考え方として提示しています。ただし、今日よく知られているピラミッドの図から受ける印象ほど、その順番を絶対的なものとして考えていたわけではないのです。

あのピラミッドは、誰が描いたのか

では、マズロー本人がピラミッドを描いていないのであれば、あの図はどこから生まれたのでしょうか。この問題を調べた研究があります。トッド・ブリッジマン、スティーブン・カミングス、ジョン・バラードが2019年に発表した『Who Built Maslow's Pyramid?』という論文です。

研究者たちは、マズローの理論が経営学の教育や実務家向けの文献で、どのように表現されてきたのかを調べました。その結果、ピラミッド図が後の時代に形成され、普及していった経緯を示しています。

1957年の階段図と、1960年のピラミッド

1957年、キース・デイヴィスの経営学の教科書に、欲求の階層を階段状に表現した図が登場します。その後、1960年にチャールズ・マクダーミッドが発表した『How Money Motivates Men』という記事に、今日のピラミッドに近い図が登場しました。ブリッジマンらの調査では、この図が、現在広く知られているピラミッドの早い公刊例として位置づけられています。少なくとも、マズローの1943年の論文から、そのまま現在のピラミッドが生まれたわけではないのです。

ここには、興味深い変化があります。心理学者が人間の動機づけについて提案した理論が、経営学の教育に取り入れられていく。その過程で、理解しやすい図として再構成される。そして、図そのものが繰り返し使われることで、理論を代表するものになっていく。

私たちが「マズローの欲求5段階説」と聞いて真っ先に思い浮かべるものは、理論の提唱者自身が描いた図ではなかったのです。

図解は、複雑な理論を単純にしてしまう

これは、図解をつくる仕事についても考えさせられる話だと思います。図解は、複雑な内容をわかりやすく伝えるための手段です。文章で長く説明しなければならない概念でも、図にすることで、関係性や構造を短時間で理解できる場合があります。マズローのピラミッドが広く普及したことも、図解が持つ伝達力を示しているのかもしれません。

しかし、わかりやすくすることは、必ずしも正確に伝えることと同じではありません。五つの欲求を明確な段階に分け、上下に積み重ねる。その図を見ると、欲求には固定された順番があり、一段ずつ上がっていくという理解が自然に生まれます。一方で、マズロー本人が説明していた例外や重なりは、図からは読み取りにくくなります。複雑な理論を整理するために省略した部分が、実は理論を理解するうえで重要だったという可能性があるわけです。

ここで気になるのは、図解の正しさだけではありません。図解によって何を見やすくし、何を見えにくくしているのか。それを意識する必要があるのではないでしょうか。

あのピラミッドは、後から生まれた

理論の提唱と、広く知られる図解の成立は同じではない

1943年マズローの原著

  • 生理的欲求
  • 安全の欲求
  • 所属と愛情
  • 承認
  • 自己実現

文章で相対的な優先順位を論じ、欲求の重なりや例外にも言及

後世広く知られる図解

  1. 自己実現
  2. 承認
  3. 所属と愛情
  4. 安全の欲求
  5. 生理的欲求

明確な段階を上がっていくような印象を生みやすい

図解が普及するまでの流れ

  1. 1943

    マズロー
    欲求階層説を論文で提唱

  2. 1957

    K. デイヴィス
    階段状の図

  3. 1960

    C. マクダーミッド
    ピラミッド状の図

わかりやすい図解が、
原著のすべてを表しているとは限らない。

※出典:Maslow(1943)、Bridgman, Cummings & Ballard(2019)。ピラミッドは説明用に作成した図で、1943年の原著に掲載されたものではありません。1960年より前のピラミッドが存在しなかったと証明されているわけではありません。

欲求階層説は、科学的に確かめられているのか

ピラミッドの由来を調べると、もう一つの疑問が生まれます。マズローが提唱した欲求の階層そのものは、どこまで実証されているのでしょうか。

理論の提唱者が誰なのか、図を誰が描いたのかという問題と、その理論が正しいのかという問題は別です。有名な心理学者が提唱した理論であっても、その内容が科学的に確かめられているとは限りません。

1976年の研究レビュー

マフムード・ワハバとローレンス・ブリッドウェルは、1976年の論文『Maslow Reconsidered』で、欲求階層説に関する実証研究を検討し、欲求の階層構造を支持する証拠は限定的であると報告しました。ただし、関連する研究の測定方法や研究設計にも問題があることを指摘しています。

123か国を対象にした研究

その後も、人間の欲求と幸福感の関係について研究が行われています。ルイス・テイとエド・ディーナーは、2011年に123か国のデータを用いて、欲求の充足と主観的幸福感の関係を分析しました。二つの研究の結果と限界を並べると、次のようになります。

研究が示したことと、
示していないこと

欲求階層説をめぐる二つの実証研究

Wahba & Bridwell|1976実証研究のレビュー

階層構造を支持する証拠は限定的

  • 下位の欲求が満たされると上位の欲求が活性化する、という考え方は縦断的な研究から十分に支持されない
  • 関連する研究の測定方法や研究設計にも問題がある

Tay & Diener|2011123か国のデータ分析

欲求の充足と幸福感には関連がある

  • 基本的な欲求の充足と生活全体の評価、社会的な欲求や尊重の欲求と肯定的な感情などに関連
  • ある欲求と幸福感の関係は、ほかの欲求の充足に大きく依存しない場合が多い
  • 扱ったのは欲求の充足と主観的幸福感の関連で、理論のすべてを直接検証したわけではない

どの部分を、どの方法で検証したのか。

「完全に否定された」とも、「正しいと確かめられた」とも、単純には読めない。

※出典:Wahba & Bridwell(1976)、Tay & Diener(2011)。

テイとディーナーの結果は、すべての人が下位の欲求を完全に満たしてから、上位の欲求を求めるという厳格な理解とは整合しにくいものです。ただし、それだけで、人間の動機づけに関するあらゆる問題が解決するわけではありません。

「科学的に正しくない」という新しい単純化

ここまで調べると、今度は「マズローの欲求階層説は間違っている」と言いたくなるかもしれません。しかし、その結論にも慎重でありたいと思います。

マズローは、人間の行動が単一の欲求だけで決まるわけではないことや、複数の欲求が同時に関わることを論じていました。人間の動機づけを、社会的な関係や尊重、自己実現なども含めて考えたことには、思想史的な意義があります。一方で、理論が考えるための有益な枠組みであることと、現実を正確に予測できることは同じではありません。

だから、今度は「マズローは間違っていた」という説明を無批判に受け入れたくはありません。それでは、最初にピラミッドをそのまま信じていたときと、あまり変わらないからです。

「知っている」とは、どういう状態なのか

マズローのピラミッドについて調べていると、自分が何を知っていたのかが、わからなくなってきます。

私は五つの欲求の名称を知っていました。ピラミッドの順番も覚えていました。しかし、誰が図をつくったのかは知りませんでした。原著に書かれている内容や、実証研究によって支持されている範囲についても、十分には理解していませんでした。

では、それまで私はマズローの理論を知っていたのでしょうか。それとも、知っていると思っていただけなのでしょうか。

この問いは、哲学の「認識論」と関係しています。認識論では、何を知識と呼ぶのか、私たちの信念はどのように正当化されるのか、どこまで確実なことを知り得るのかといった問題が扱われます。

プラトンの『テアイテトス』

古代ギリシャの哲学者プラトンは、対話篇『テアイテトス』で、知識とは何かを検討しました。この対話篇では、知識が知覚なのか、真なる判断なのか、説明を伴う真なる判断なのかといった可能性が議論されます。ただし、対話はすべての問題を解決する完成された定義には到達しません。

後世の認識論では、知識についての古典的な分析として、「正当化された真なる信念」という考え方が論じられてきました。英語ではJustified True Belief、略してJTBと呼ばれます。この分析では、ある人が何かを知っているというために、三つの条件を考えます。一つ目は、その人がその内容を信じていること。二つ目は、その内容が実際に真であること。三つ目は、その内容を信じるための適切な根拠があることです。

例えば、ある人が「明日は雨が降る」と考えたとします。何の根拠もなく、単に勘でそう思っただけだったとしましょう。そして翌日、本当に雨が降りました。この人の予想は当たっています。しかし、「明日雨が降ることを知っていた」と言えるでしょうか。

結果が正しかったというだけでは、知識と呼ぶには不十分なように思えます。ここには、正しい内容を信じることと、それを正しいと考える理由があることの違いがあります。

ただし、JTBは、プラトン自身が完成された定義として確立したものではありません。『テアイテトス』の議論と、後世の認識論で整理された知識の古典的分析は、区別する必要があります。

デカルトは、なぜ当たり前のことまで疑ったのか

知識の確実性を考えるうえで、もう一人重要な哲学者がいます。ルネ・デカルト(1596〜1650)です。デカルトは『省察』(1641年)で、私たちが当然だと信じていることを、一度徹底して疑う方法を用いました。

疑えるものを保留して、
確実な土台を探す

デカルトの方法的懐疑

感覚を疑う

感覚は、ときに私たちを欺く

遠くのものは実際と違う大きさに見え、夢の中では目の前の出来事を現実だと信じている

保留する

確実だと思っていることも、疑おうと思えば疑える

疑えないもの

疑っている思考がある以上、考えている自分の存在は否定できない

「我思う、ゆえに我あり」

疑いは、確実な土台を見つけるための保留。

ただし、この一文で外界や他人の存在まで証明したわけではない。確実な知識の基礎づけをめぐっては、さまざまな批判や議論がある。

※Descartes『省察』、Stanford Encyclopedia of Philosophy「Descartes' Epistemology」をもとに簡略化した図です。

疑うことは、結論を出さないことではない

ここで重要なのは、デカルトの方法的懐疑を、すべてを否定する態度と混同しないことだと思います。デカルトは、何も信じずに生きることを目的にしていたわけではありません。

もちろん、企業の経営判断にデカルトの方法をそのまま適用することはできません。事業では、完全に確実な知識が得られるまで、判断を保留し続けるわけにはいかないからです。それでも、広く知られているからという理由で、ある理論を正しいと受け入れていないかを考える姿勢には、学ぶところがあると思います。

例えば、マーケティングの会議で、ある理論を前提に施策を考えているとします。そのとき、その理論が原著でどのように説明されているのか。何が実証されていて、何が仮説なのか。自分たちが使おうとしている状況に、本当に当てはまるのか。そうしたことを一度確認するだけでも、判断の前提を見直す機会になるでしょう。マズローのピラミッドを原著までたどってみた経験も、その一つだったと思います。

根拠があっても、偶然正しいことがある

ここまで、知識には正しい内容だけでなく、適切な根拠が必要だという話をしてきました。しかし、さらに難しい問題があります。信じている内容が正しく、その信念に根拠があったとしても、それを知識とは呼びにくい場合があるのです。この問題を示したのが、哲学者エドマンド・ゲティアです。

ゲティアの反例

1963年、ゲティアは『Is Justified True Belief Knowledge?』という短い論文を発表しました。その中で、知識を「正当化された真なる信念」と定義するだけでは不十分ではないかと論じています。彼が示した例の一つを考えてみます。

ある会社の採用選考で、スミスとジョーンズという二人が候補になっています。スミスには、ジョーンズが採用されると信じる強い理由がありました。また、スミスはジョーンズのポケットに硬貨が10枚入っていることも確認していました。そこで、スミスはこう考えます。

「採用される人は、ポケットに硬貨を10枚持っている」

この推論には、スミスなりの根拠があります。しかし実際には、採用されたのはジョーンズではなくスミスでした。そして偶然、スミス自身もポケットに硬貨を10枚持っていたのです。

スミスの信念は正しく、信じるための一定の根拠もありました。しかし、私たちはスミスがそのことを知っていたと言えるでしょうか。どうも違うように感じられます。信じた理由と、内容が正しくなった理由が、偶然によって食い違っているからです。これがゲティア問題として知られる議論です。

根拠があり、結果も正しい。
それでも知識とは限らない

知識の古典的な3条件(JTB)

  1. 01 信念 本人が信じている
  2. 02 真理 内容が実際に正しい
  3. 03 正当化 適切な根拠がある

ゲティアの「硬貨10枚」の反例

スミスが信じたこと

ジョーンズが採用される

ジョーンズは硬貨を10枚持っている

実際に起きたこと

スミスが採用される

偶然スミスも硬貨を10枚持っていた

「採用される人は硬貨を10枚持つ」は真だった。

偶然当たったことと、知っていたことは違う。

ゲティア問題は、古典的な3条件だけでは知識を十分に説明できない可能性を示す。

※出典:Gettier(1963)、Stanford Encyclopedia of Philosophy「The Analysis of Knowledge」。

正しく予測できたことは、理解していた証拠になるのか

この問題は、実務における判断を振り返る際にも、興味深い視点を与えてくれます。例えば、ある企業が広告施策によって売上を20%増加させると予測し、実際に売上が20%伸びたとします。担当者は、過去のデータや顧客調査をもとに予測していました。しかし、広告を実施した時期に、競合企業が商品の供給を停止していたことが後からわかったとします。その場合、売上が伸びたことを、広告だけの効果として説明することはできません。

ただし、これはゲティア問題そのものではありません。ゲティア問題は知識の定義に関する哲学的な問題です。一方、広告施策と売上の関係を検討することは、因果推論の問題です。それでも、結果が正しかったことと、その結果がなぜ生じたのかを理解していたことを区別するうえで、参考になる考え方だと思います。

ここでも注意したいのは、結果がよかったからといって、判断の過程まで正しかったとは限らないことです。反対に、十分な根拠を持って判断したとしても、予測が外れることはあります。不確実な状況では、適切な判断と望ましい結果が、常に一致するわけではありません。

教科書に載っていることを、どこまで信じてよいのか

ここまで考えると、何を信じてよいのかわからなくなるかもしれません。有名な図にも、原著との違いがある。学術的な理論であっても、実証的な根拠が十分とは限らない。哲学では、そもそも知識とは何かについても議論が続いている。

だからといって、すべての理論を疑い、原典を読むまで何も使わないという姿勢は現実的ではありません。専門領域のすべての文献を自分で読み、すべての研究を検証することはできないからです。私たちは、専門家や研究者、出版社、教育機関などが蓄積してきた知識に頼りながら学んでいます。そのこと自体は必要なことだと思います。

重要なのは、受け取った情報がどのような性質のものなのかを理解することではないでしょうか。

三つのことを分けて考える

マズローの例で考えると、少なくとも三つの異なる問いがあります。

知識の出典・表現・根拠は
分けて考える

マズローの例から整理した、筆者独自の検討フレーム

  1. 01 原典の主張 何が書かれているのか マズローの1943年の論文では、欲求の相対的な優先順位と例外が論じられている。
  2. 02 後世の表現 どのように伝えられてきたのか 五段のピラミッドは、後世の経営教育などを通じて広まった。
  3. 03 実証的な根拠 何が、どこまで確かめられているのか 欲求と幸福感には関連がある一方、厳格な階層モデルへの支持は限定的。

何を根拠に、どこまで正しいと考えているのか。

原著に書かれているから正しいとは限らず、後世の図解だから誤りとも限らない。実証的な支持が弱くても、その理論から何も学べないわけではない。

※Maslow(1943)、Bridgmanら(2019)、Wahba & Bridwell(1976)、Tay & Diener(2011)を踏まえた独自の整理です。

これらは、すべて別々に検討する必要があります。理論の歴史的な意義、考えるための枠組みとしての有用性、科学的な予測力も、区別しておきたいところです。

私がマズローのピラミッドから最も学んだのは、欲求の順番についての新しい知識よりも、この区別だったと思います。

確実ではない知識を、仕事でどう扱うのか

では、企画や戦略を考える仕事では、どのように理論を扱えばよいのでしょうか。例えば、マズローの欲求階層説をもとに、商品の価値提案を考えるとします。

安全に関する訴求がよいのか。
所属や承認に関する訴求がよいのか。
自己実現に関する訴求がよいのか。

五つの欲求は、顧客の動機を幅広く考えるための切り口にはなるかもしれません。しかし、ピラミッドの順番だけを根拠に、顧客がどの訴求に反応するかを決めることはできません。実際の顧客が何を求めているのかを調べる必要があります。

また、顧客によって重視する価値が異なる可能性もあります。ある商品について、安全性を重視する人もいれば、使うことで得られる社会的な評価を重視する人もいるでしょう。一人の顧客が、複数の価値を同時に求めていることも考えられます。

理論を使って仮説を立てることはできます。しかし、その仮説が目の前の顧客に当てはまるかどうかは、別に確かめなければなりません。

理論を使うことと、理論を信じ込むこと

私は、理論を使うこと自体を否定したいわけではありません。むしろ、専門領域の外にある学問を学ぶ理由の一つは、これまで持っていなかった考え方を知ることにあります。ただ、新しい理論を知ったとき、それをすぐに万能な説明として扱わないようにしたいと思います。

理論には、それぞれ生まれた背景や研究対象があります。その理論が説明しようとしていることと、私たちが仕事で判断しようとしていることが一致しているとは限りません。さらに、理論の説明が魅力的だからといって、その予測が正しいとも限りません。

必要なのは、すべてを疑い続けることではないでしょう。現在わかっていることと、まだ十分にわかっていないことを区別すること。どこまでを根拠に判断し、どこからを仮説として扱うのかを明確にすること。そして、新しい情報が得られたときに、考えを変えられる状態にしておくことだと思います。

判断のよし悪しは、結果だけでは決められない

もう一つ、重要だと感じていることがあります。それは、判断を振り返るときに、結果だけで評価しないことです。

十分な調査を行い、合理的な仮説を立て、慎重に実行したとしても、期待した成果が出ないことがあります。反対に、根拠が乏しいまま実行した施策が、偶然うまくいくこともあります。当然、成果が出たかどうかは重要です。しかし、それだけで判断の過程まで正しかったかどうかは決まりません。

判断の根拠と結果は、
分けて振り返る

結果がよくても、判断の過程まで正しかったとは限らない

期待した成果が出た成果が出なかった

根拠が十分根拠が乏しい

判断も結果もよい

ただし、なぜうまくいったのかは確かめる

判断はよいが、結果が伴わない

判断の誤りとは限らない。何が想定外だったかを振り返る

偶然うまくいった

結果だけを見て、判断の仕方まで正しかったと考えない

判断も結果も見直す

根拠のどこが足りなかったのかを確かめる

※本文の議論をもとに整理した独自の図です。

私は、事業の意思決定では、少なくとも判断した時点での根拠と、その後に明らかになった結果を分けて振り返りたいと思います。

当時、何を知っていたのか。
何を仮説として扱っていたのか。
どのような可能性を考慮していたのか。
そして、結果から何が新たにわかったのか。

そうしたことを分けて考えれば、成功も失敗も、次の判断に生かしやすくなるのではないでしょうか。

おわりに|「知っている」と言えるのは、どこまでなのか

マズローのピラミッドについて調べ始めたとき、最初は単なる雑学のように感じました。誰もが知っている有名な図が、実はマズロー本人のものではなかった。その事実だけでも、十分に興味深い話です。

しかし、原著や後世の研究を読んでいくと、もっと大きな問題に気づきました。私は、その理論について何を知っていたのでしょうか。五つの欲求の名称を覚えていたこと。ピラミッドの形を見たことがあったこと。教科書に書かれている説明を理解したつもりになっていたこと。それだけで、理論を知っていると言ってよかったのでしょうか。

知識とは何かという問いは、プラトンの時代から考えられてきました。デカルトは、当然だと思っていることの確実性を疑いました。ゲティアは、正しい内容を根拠に基づいて信じていたとしても、知識とは呼びにくい場合があることを示しました。

こうした議論を学んだからといって、明日からすべての判断が正しくなるわけではありません。それでも、自分が何を根拠に正しいと考えているのかを確かめる習慣は持てるかもしれません。そして、必要であれば、以前の考えを変えることもできるでしょう。

マズローのピラミッドを見て、私はもう「欲求は必ず下から順番に満たされる」と単純には考えないと思います。ただし、それに代わって「マズローは完全に間違っていた」と考えるつもりもありません。原著の主張、後世の図解、実証研究の結果。それぞれを区別したうえで、何がわかっていて、何がまだわかっていないのかを考えたいと思います。

知識を持つことと、その知識を疑えること。どちらも、ものの見方を広げるために必要なのではないでしょうか。

そして、次に有名な理論や図解に出会ったときには、一つだけ確かめてみたいと思います。

私は、それを本当に理解しているのだろうか。それとも、何度も見たことがあるだけなのだろうか。

参考文献・出典

本文中のマズローに関する説明は1943年の原著と2019年の成立史研究、実証面は1976年と2011年の研究、認識論はStanford Encyclopedia of Philosophyの解説などをもとにしています。実務への応用や仮想例には、筆者自身の考察が含まれます。

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  2. Bridgman, T., Cummings, S., & Ballard, J. (2019). Who Built Maslow's Pyramid? A History of the Creation of Management Studies' Most Famous Symbol and Its Implications for Management Education(新しいタブで開きます). Academy of Management Learning & Education, 18(1), 81–98.
  3. Wahba, M. A., & Bridwell, L. G. (1976). Maslow Reconsidered: A Review of Research on the Need Hierarchy Theory(新しいタブで開きます). Organizational Behavior and Human Performance, 15(2), 212–240.
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  6. Descartes, R. (1641). Meditationes de Prima Philosophia(『省察』)。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — Descartes' Epistemology(新しいタブで開きます)
  7. Gettier, E. L. (1963). Is Justified True Belief Knowledge?(新しいタブで開きます) Analysis, 23(6), 121–123.
  8. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Analysis of Knowledge(新しいタブで開きます)。知識の古典的分析とゲティア問題、その後の認識論についての学術解説。