ある企業が、新しい技術を導入しようとしているとします。一人の専門家は、導入を推奨しています。しかし、別の専門家は、技術的なリスクが大きいと指摘しています。経営者自身には、両者の専門的な説明をすべて検証できるだけの知識がないかもしれません。このとき、どう判断すればよいのでしょうか。
話した人の経験や専門性によって、発言の信頼性を評価することは必要です。例えば、医学についての説明を聞く場合、その領域を専門とする研究者や医師の説明と、医学について十分な知識を持たない人の説明を、同じ重みで扱う必要はないでしょう。特定の専門家の発言を重視することは、合理的な判断になる場合があります。
しかし、「その人が言ったから」という理由だけで、私たちは話を信じてよいのでしょうか。
今回は、証言の哲学、情報源の信頼性に関する心理学の研究、そして哲学者アルヴィン・ゴールドマンの専門家論を手がかりに、誰の話をどのような理由で信じるのかを考えてみたいと思います。
私たちは、なぜ他人の話を信じられるのか
例えば、明日の天気を調べるとします。気象予報士が発表した予報を確認する人もいるでしょう。一方、知人が「明日は雨らしい」と話していたので、傘を持っていく人もいるかもしれません。どちらの場合も、自分自身で大気の状態を測定し、気象モデルを使って予測しているわけではありません。他人が伝えた情報を利用しています。
私たちの知識には、このような情報が数多く含まれています。歴史上の出来事。遠くの国で起きていること。医療や科学に関する専門知識。そのすべてを、自分で一から確かめることはできません。哲学では、このように他者が語ることによって知識を得る行為を「証言(testimony)」という概念で考えます。ここでいう証言は、裁判所での証言だけを意味するものではなく、日常の幅広いやり取りを含みます。
証言は、それ自体で信じる理由になるのか
証言の認識論では、誰かの話を信じるために、どの程度の根拠が必要なのかが長く議論されてきました。代表的な二つの立場を整理すると、次のようになります。
話を信じるために、
独立した理由は必要か
証言の正当化をめぐる、二つの代表的な立場
Reductionism|ヒューム還元主義
話し手を信頼できる、独立した理由が必要
- 過去に正確な情報を伝えてきた
- 今回の話題について詳しい
- ほかの情報と大きく矛盾しない
Anti-reductionism|リード非還元主義
証言は、それ自体で一定の正当化を与える
信じるたびに信頼性を一から証明していたら、日常生活は成り立たない
どちらも、誰の話でも
無条件に信じるという意味ではない。
疑うべき事情があれば考慮する。証言を信頼できる条件については、現在も複数の立場がある。
※Stanford Encyclopedia of Philosophy「Epistemological Problems of Testimony」をもとに簡略化した図です。
ここで重要なのは、他人の話を信じること自体が、決して単純な行為ではないという点です。私たちは、発言の内容だけを取り出して判断しているわけではありません。話し手をどう認識しているかも、判断に関わっています。
信頼できそうに見えることと、正しいことは違う
この問題に関係する研究として、カール・ホブランドとウォルター・ワイスが1951年に発表した『The Influence of Source Credibility on Communication Effectiveness』があります。この研究では、情報を伝える相手についての信頼性が、受け手の態度にどのような影響を与えるのかを調べました。
研究者たちは、信頼性が高いと受け止められる情報源と、信頼性が低いと受け止められる情報源によって、伝えられた内容への反応が異なることを示しました。ただし、これをもって、話し手の権威が高いほど、その内容が実際に正しいと結論づけることはできません。研究の対象は、情報源についての信頼性が、受け手の態度にどう影響するかという心理学的な問題だからです。
例えば、ある企業が、著名な人物を広告に起用したとします。その人物は、多くの人から信頼されています。その結果、商品についての説明も、受け入れられやすくなるかもしれません。しかし、その人物が商品について正確な専門知識を持っているとは限りません。逆に、知名度の低い研究者や専門家が、非常に重要な知見を持っている場合もあります。
だから、発言者の信頼性を判断することは必要ですが、その判断の根拠を確かめる必要があります。
誰が話しているのか。
何について詳しいのか。
その知識を、どのような方法で得たのか。
そして、今回の発言を信じる理由として、何が示されているのか。
専門家の意見は、どうやって評価すればよいのか
この問題について、より直接的に論じた哲学者がいます。アルヴィン・ゴールドマンです。ゴールドマンは2001年の論文『Experts: Which Ones Should You Trust?』で、専門的な知識を持たない人が、複数の専門家の意見をどのように評価すればよいのかを考えました。冒頭の技術導入の例は、まさにこうした場面です。
ゴールドマンは、専門家の間で意見が分かれる場合、専門知識を持たない人でも参照できる手がかりが存在することを論じました。例えば、専門家が示す議論の内容や根拠。ほかの専門家による評価。その領域での実績。利害関係などの情報です。
専門知識がなくても、
確かめられる手がかりがある
ゴールドマンが論じた、専門家の意見を評価する手がかり
- 議論と根拠どのような議論や根拠を示しているか反論への応答も比べる
- ほかの専門家の評価同じ領域の専門家はどう見ているか全員が同じ誤った情報に依存している可能性もある
- 実績その領域でどのような実績があるか資格・論文数・受賞歴は、正しさの直接の証明ではない
- 利害関係主張によって得をする立場にないか利害や偏りは、判断を歪める要因になり得る
どの手がかりも、主張の正しさを
直接証明するものではない。
専門性には領域がある。何についての専門家なのかも確かめる。
※Goldman(2001)の議論をもとに整理した独自の図です。
特に意識しておきたいのは、専門性には領域があることです。優れたデザイナーが、あらゆる経営判断に精通しているわけではありません。優秀な経営者が、すべての技術的な問題を正確に判断できるとも限りません。
専門家を信頼することと、思考停止すること
ここで大切なのは、専門家の意見を参照することを、自分で考えることの放棄と捉えないことだと思います。自分ですべての内容を検証できなくても、情報源の信頼性や、説明の根拠を確かめることは可能です。例えば、専門家が何を確実な事実として述べ、何を仮説として扱っているのかを確認します。異なる意見がある場合には、どのような前提や証拠の違いによって、結論が分かれているのかを尋ねます。
技術的に実現可能であることと、それを実行すべきであることは同じではありません。安全性について十分な知識があることと、どの程度のリスクを許容するべきかを一人で決定できることも、同じではありません。専門家が提供できる知識と、意思決定の主体が負う責任は、分けて考える必要があります。
発言者を匿名にすれば、公平になるのか
では、誰が発言したかによって評価が変わってしまうのであれば、発言者の名前を隠せばよいのでしょうか。例えば、会議の前に全員から意見を集め、誰が書いたのかわからない状態で比較するとします。そのような方法であれば、発言した人の役職や年齢などによって、最初から意見を評価してしまうことを減らせるかもしれません。しかし、匿名化にも限界があります。
例えば、セキュリティに関する技術的な懸念が示されたとします。その発言が、実際のシステムを調査したエンジニアによるものなのか。それとも、詳しい知識がない人による推測なのか。その違いは、情報の評価に関わります。匿名化によって、偏見の影響を減らせる場合がある一方、評価に必要な情報まで失われる可能性もあるのです。ここで考えたいのは、情報を残すか消すかという二択ではなく、何を判断するために、話し手についてのどの情報が必要なのかということです。
何を判断するかで、
必要な発言者の情報は変わる
匿名化は偏見の影響を減らし得る一方、評価に必要な情報まで失う可能性がある
- アイデアを集める役職を伏せる立場による先入観を減らす
- 技術的リスクを判断する専門性と調査方法を確認する根拠の質が評価に関わる
- 顧客体験を理解する置かれた状況を残す文脈が経験の意味を左右する
※筆者による整理です。望ましい設計は、目的や段階によって変わります。
「その人が言ったから」ではなく、「なぜ信じるのか」を説明する
話し手の知識を利用するときには、もう一つ注意したいことがあります。哲学者ミランダ・フリッカーは、話し手が社会的な属性に関わる偏見によって、本来与えられるべき信用よりも低い信用しか与えられないことを「証言的不正義」と呼びました。専門性を考慮することと、立場や属性によって意見の価値を最初から低く見積もることは、同じではありません。
誰が言ったかを見る。
その理由まで確かめる
話し手の知識を利用しながら、不当に低い信用評価を避けるための判断フレーム
Decision Principle
その人の立場ではなく、妥当な理由にふさわしい信用を与える
専門性を無視せず、権威への無条件な追従も避ける。
※Goldman(2001)の専門家への信頼と、Fricker(2007)の認識的不正義を参考に作成した筆者独自の判断フレームです。両者が共同で提唱した手順ではありません。
今回の議論を通して、私自身が仕事で意識したいことを整理してみます。まず、発言の内容と、発言者についての情報を分けて確認したいと思います。ただし、完全に切り離せるわけではありません。専門的な判断では、その領域についての知識や実績も関係します。だから、発言者の情報を無視するのではなく、何を信頼性の根拠として使っているのかを明確にする必要があります。
次に、発言が十分に検討されなかったとき、その理由を確認したいと思います。根拠が不足していたのでしょうか。今回の判断に関係がなかったのでしょうか。それとも、誰が言ったのかによって、最初から重要性を低く見積もっていたのでしょうか。この区別ができなければ、合理的な判断と、不公正な信用評価を見分けることが難しくなります。
公平に扱うことと、無条件に受け入れることは違います。誤った情報は訂正する必要があります。十分な根拠のない主張については、その限界を指摘するべきでしょう。専門家の判断が必要な問題では、専門性も尊重しなければなりません。
おわりに|信じる理由を、言葉にしておく
私たちは、他人から知識を得ながら生きています。そのため、誰の話を信じるのかという判断を避けることはできません。専門家への信頼を論じたゴールドマンの議論からは、話し手の知識や実績を考慮すること自体には、合理的な理由があると考えられます。だから、私は「誰が言ったかで判断してはいけない」という単純な結論にはしたくありません。むしろ、誰が発言したのかによって判断が変わるのであれば、その理由を確かめたいと思います。
専門性があるからでしょうか。
その問題を直接経験しているからでしょうか。
十分な根拠を示しているからでしょうか。
それとも、その人が経営者だから、著名人だから、あるいは自分と似た立場の人だからというだけなのでしょうか。
この違いを意識することで、他人の発言への向き合い方も変わるかもしれません。人の意見を公平に扱うことは、すべての意見を同じように信じることではありません。それぞれの主張を、その内容や根拠にふさわしく評価することなのでしょう。
では、話し手を確かめる私たち自身は、どこから物事を見ているのでしょうか。
参考文献・出典
技術導入、広告、会議についての事例は筆者が設定した仮想例です。専門家への信頼をめぐる議論と、フリッカーの認識的不正義は、区別して扱っています。
- Fricker, M. (2007). Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing(新しいタブで開きます). Oxford University Press. 証言的不正義と解釈的不正義を論じた基本文献。
- Goldman, A. I. (2001). Experts: Which Ones Should You Trust?(新しいタブで開きます) Philosophy and Phenomenological Research, 63(1), 85–110. 専門知識を持たない人が専門家の証言をどのように評価するかについて。
- Hovland, C. I., & Weiss, W. (1951). The Influence of Source Credibility on Communication Effectiveness(新しいタブで開きます). Public Opinion Quarterly, 15(4), 635–650. 情報源の信頼性と説得効果に関する研究。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Epistemological Problems of Testimony(新しいタブで開きます)。証言によって知識を得ることの正当化、専門性、証言の認識論に関する学術解説。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Social Epistemology(新しいタブで開きます)。証言、専門知識、認識的不正義を含む社会認識論の学術解説。



