ある企業が、人事評価制度を見直したとします。それまでは、上司の主観によって評価が左右されることがありました。そこで、全社員に共通する明確な評価基準を設けることにしました。

企業の評価制度は、一般に経営者や人事部門、管理職などによって設計されます。その制度のもとで評価を受ける社員自身が、十分に制度づくりへ関与できるとは限りません。もちろん、すべての社員が制度を直接決定することが、常に望ましいとは限らないでしょう。組織には、専門的な判断や経営上の責任が必要です。

しかし、ルールをつくる側だけで公平さを判断してよいのかという問いは残ります。評価基準が明確で、全員に同じように適用されていても、その基準を選んだのは誰なのでしょうか。

公平なルールは、誰が決めるのか。

今回は、古代ギリシャの哲学者プラトンと、20世紀の政治哲学者ジョン・ロールズを中心に、正義と、ルールをつくる側の立場について考えてみたいと思います。なお、冒頭の企業と評価制度は、問題を説明するための仮想例です。

プラトンは、正義をどのように考えたのか

正義について考えるうえで、古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427〜347年頃)の『国家』は重要な著作です。『国家』は、理想的な政治制度を説明するだけの本ではありません。そもそも正義とは何か。正しい人間として生きることには、どのような意味があるのか。そうした問題を、ソクラテスらの対話を通して考える著作です。

正義は、強い者の利益なのか

『国家』第1巻では、トラシュマコスという人物が、正義について挑発的な主張をします。正義とは、強い者の利益である。支配者は自分たちに有利な法律をつくり、従う人々にそれを正義として守らせる。こうした主張です。

この考え方に立てば、何が正しいかは、権力を持つ側によって決められることになります。現代の企業に置き換えれば、評価制度をつくる経営者や管理職にとって都合のよいルールが、「公平な制度」として正当化されることも考えられます。

もちろん、トラシュマコスが現代の人事制度を論じたわけではありません。しかし、ルールをつくる側の利益と、ルールに従う側の利益が一致しているとは限らない、という問題を考える手がかりになります。

例えば、長時間働く社員が高く評価される制度があったとします。その制度は、会社にとって都合がよいかもしれません。しかし、会社にとって利益があることだけで、その制度が公正だと判断できるのでしょうか。ここでは、制度の成果だけでなく、その制度が誰の利益に基づいて設計されているのかも問われます。

プラトンの正義は、役割の調和と結びついている

『国家』第4巻では、ソクラテスは正義を、各人が自分にふさわしい役割を果たすことと結びつけて説明します。プラトンは、国家の構造と個人の魂の構造を重ね合わせて考えました。

正義とは、
役割が調和している状態

『国家』における、国家の構造と魂の構造

  1. 統治する人々魂の理性的な部分
  2. 国家を守る人々魂の気概に関わる部分
  3. 生産を担う人々魂の欲望に関わる部分

すべての人へ、
同じものを配ることではない。

異なる部分がそれぞれ適切な役割を果たし、相互に混乱を生じさせないとき、全体として望ましい秩序が成立する。

※プラトン『国家』第4巻をもとに簡略化した図です。

この発想は、現代の組織について考えるときにも、ある意味では理解しやすいかもしれません。組織には、さまざまな専門性を持つ人がいます。全員が同じ仕事をするより、それぞれの能力を生かして役割を分担した方が、よい成果につながる場合があります。しかし、ここで簡単にプラトンの考え方を肯定することはできません。

誰が「ふさわしい役割」を決めるのか

重要なのは、誰がその人にふさわしい役割を決めるのかという問題です。例えば、ある社員が制作の仕事を担当しているとします。その社員は、新しい事業の企画に挑戦したいと考えています。しかし、上司は「この人は制作に向いている」と判断し、企画の仕事を任せません。

組織全体の効率という観点では、その判断に合理性がある場合もあります。しかし、本人が新しい能力を身につける機会を失っている可能性もあります。現在持っている能力だけで役割を固定すれば、将来の可能性を狭めてしまうかもしれません。

プラトンの『国家』は、現代の個人の自由や平等をそのまま擁護する思想ではありません。彼が構想した理想国家には、政治参加や職業のあり方に厳しい制約があり、現代の民主主義や人権の考え方とは相容れない部分があります。また、社会全体の秩序を重視するあまり、個人が自分の生き方を選ぶ自由が十分に尊重されないという批判も考えられます。

だから私は、プラトンの正義論を、そのまま現代の組織づくりの手本にするつもりはありません。ただ、正義を単に同じものを配ることではなく、社会や人間のあり方全体に関わる問題として捉えた点は興味深いと思います。同時に、誰が望ましい秩序を決めるのかという問いも残ります。

ロールズは、どのような社会を公平だと考えたのか

20世紀になると、正義を考えるうえで重要な理論を提示した哲学者が登場します。ジョン・ロールズ(1921〜2002)です。ロールズは1971年に『正義論(A Theory of Justice)』を出版し、「公正としての正義」と呼ばれる考え方を展開しました。

ロールズが重視したのは、社会の基本的な制度が、どのような原則によって設計されるべきかという問題です。ここでいう制度には、政治的な仕組みだけでなく、経済や教育など、社会の中で人々の権利や機会を左右する仕組みも含まれます。

自分がどの立場になるかわからなかったら

ロールズの議論でよく知られているのが、「無知のヴェール」という思考実験です。例えば、これから新しい社会をつくるとします。その社会では、どのようなルールを採用するべきでしょうか。

豊かな人は、自分の財産を守りやすいルールを選びたくなるかもしれません。社会的に有利な立場の人は、その立場を維持できる制度を支持する可能性があります。反対に、不利な立場にいる人は、より多くの保障を求めるかもしれません。では、自分がその社会でどのような立場になるのかわからないとしたら、どうでしょうか。

ロールズの「原初状態」という仮想的な選択状況では、人々は自分の具体的な条件を知らない一方で、人間や社会についての一般的な知識は持っています。こうした情報を遮る仕組みが、無知のヴェールです。現実に記憶を失った状態で会議をするという話ではなく、特定の立場に有利なルールを選ぶことを避けるための思考実験です。

自分の立場がわからなければ、
どんなルールを選ぶか

自分に有利な条件を知らない状況で、社会の正義の原則を考える

無知のヴェールで遮られるわからないこと

  • 自分の社会的な地位
  • 財産や家庭環境
  • 才能や能力
  • 自分の人生観

判断に使えるわかっていること

  • 社会の一般的な仕組み
  • 人間の基本的な必要
  • 経済や心理の一般知識
  • 制度が人々に与える影響

The Original Position/原初状態

どの立場になっても受け入れられる原則を考える

※Rawls『正義論』『公正としての正義 再説』の学術解説を参考に簡略化しました。無知のヴェールは、主として社会の基本的な正義の原則を選ぶための思考実験です。

経営者になるか、社員になるかわからなかったら

この考え方を、現代の企業について考えるための比喩として使ってみます。これから新しい会社の評価制度をつくるとします。しかし、自分が経営者になるのか、管理職になるのか、一般社員になるのかはわかりません。高い能力を持っているかもしれませんし、まだ十分な経験がない立場になるかもしれません。家庭の事情によって、働ける時間に制約がある可能性もあります。

このような状況であれば、どのような評価制度を選ぶでしょうか。会社への貢献が適切に評価される制度は必要だと考えるかもしれません。一方で、たまたま不利な環境に置かれたことによって、重要な機会から排除される制度には慎重になるでしょう。また、自分が少数派の立場になったとしても、必要な権利が守られる仕組みを求めるかもしれません。

ここで重要なのは、自分の現在の立場から少し離れて、制度の正当性を考えてみることです。ただし、これはロールズの原初状態を企業に応用した、筆者による比喩です。ロールズ自身が、あらゆる企業の人事評価を無知のヴェールによって直接決めるべきだと主張したわけではありません。彼の理論は、第一に社会の基本構造に関するものです。企業の制度を考える際に参考にできるとしても、その適用範囲は区別する必要があります。

公平な競争を、誰が設計するのか

ここまで考えてきて、最も気になるのは、競争のルールを誰が決めているのかという問題です。

ルールをつくる人にも、立場がある

例えば、長時間働けることを高く評価する管理職がいたとします。その管理職自身は、長時間働くことによって能力を高め、重要な仕事を任されてきたのかもしれません。その経験から、仕事への強いコミットメントを評価したいと考えることには、理由があるでしょう。

しかし、その制度が、ほかの社員にどのような影響を与えるのかは、別に考える必要があります。自分にとって合理的だった働き方が、すべての社員にとって合理的だとは限りません。また、過去にその制度で成功した人々が、今後もその制度によって評価されやすいという構造が生まれるかもしれません。

ここで、ロールズの無知のヴェールが参考になります。自分が現在の立場ではなかったとしても、その制度を選ぶだろうか。自分が評価する側ではなく、評価される側になったとしても、そのルールを公正だと考えるだろうか。もちろん、この問いだけで公平な制度が完成するわけではありません。しかし、自分の利益や経験から少し距離を置いて考えるための手がかりにはなります。

制度の公平さは、運用の中でも検証する必要がある

もう一つ重要なのは、制度が公平に設計されたとしても、その運用が公平だとは限らないということです。評価基準が明確でも、どの社員に重要な仕事を任せるかによって、成果を上げる機会に差が生まれます。制度に何が書かれているかだけでなく、現実にどのように機能しているかを確かめる必要があります。

私は、この点に組織の制度設計の難しさがあると思います。制度を設計する際には、一定のルールが必要です。しかし、そのルールをすべての人に適用するだけでは、想定していなかった不公平が生まれる可能性があります。だからといって、すべてを個別の判断に任せれば、今度は一貫性が失われるかもしれません。

この両方を避けるためには、明確な原則と、実際の運用を確認し続ける仕組みが必要なのではないでしょうか。

公平な組織には、
二つの設計が必要になる

成果を適切に評価することと、成果を生み出せる機会を整えることを区別する

Evaluation成果の評価

  • 何を成果とするか
  • 役割と責任の違い
  • 評価基準の透明性
  • 報酬との関係

Opportunity機会の配分

  • 重要案件への参加
  • 研修・学習の機会
  • 昇進へのアクセス
  • 働き方の制約への配慮

Continuous Review

制度をつくった後も、公平さを確かめ続ける

評価結果と機会の偏りを確認し、必要に応じてルールや運用を見直す

制度に書かれていることと、
現実の運用は同じとは限らない。

研修制度があっても、忙しくて参加できない人がいる。意見を伝える制度があっても、不利益を恐れて利用できない場合がある。

※公正な機会均等の議論を参考にした筆者独自の組織設計フレームです。ロールズが提唱した企業人事制度ではありません。

おわりに|公平なルールを、評価される側から確かめる

最初の問いに戻ります。公平なルールは、誰が決めるのでしょうか。

今回、プラトンとロールズの正義論について調べてきました。プラトンは、正義を社会や人間の適切な秩序と結びつけて考えました。ロールズは、自分がどのような立場になるかわからない状況で、人々がどのような正義の原則を選ぶのかを考えました。両者の正義論は、時代も目的も異なります。そして、どちらも現代の人事制度を直接説明するための理論ではありません。

それでも、二人の議論を通して、正義を単なるルールの適用として考えることには限界があると感じました。同じルールを適用することは重要です。しかし、そのルールをつくる側が、自分たちに有利な条件を当然のものとしていたらどうでしょうか。そのような状況では、形式的には平等であっても、公平さについて考える余地が残ります。

そして、公平な制度とは、一度つくれば完成するものではないのでしょう。人々の状況が変わり、働き方が変わり、組織のあり方も変化していきます。同じルールを維持することが、以前は公平だったとしても、今も公平だとは限りません。だから、制度をつくる側には、そのルールが現実にどのような機会を生み、どのような不利益をもたらしているのかを、確かめ続ける責任があるのではないでしょうか。

今回、特に考えさせられたのは、ロールズの無知のヴェールでした。自分がどの立場になるかわからなかったとしても、同じ制度を選ぶだろうか。この問いは、自分が当たり前だと考えているルールを、別の角度から見直すための手がかりになります。

公平なルールとは、つくる側から見て正しいだけでなく、評価される側に立ったとしても受け入れられるかを、問い続けることで支えられるものなのかもしれません。

参考文献・出典

以下は、記事中の学術的な説明に関する主な参照文献です。企業の評価制度や仕事の配分に関する例は仮想例であり、現代の組織への応用には筆者自身の考察が含まれます。

  1. Plato, Republic(『国家』)。特に第1巻(トラシュマコスとの対話)、第2巻(正義の価値)、第4巻(国家と魂の正義)。原典英訳:Perseus Digital Library(新しいタブで開きます)
  2. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Plato's Ethics and Politics in The Republic(新しいタブで開きます)。正義をめぐる対話と、理想国家・魂の構造に関する学術解説。
  3. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Plato's Ethics: An Overview(新しいタブで開きます)。プラトンの正義・役割分担の考え方と、その限界についての解説。
  4. Rawls, J. (1971). A Theory of Justice(『正義論』)。原初状態、無知のヴェール、平等な基本的自由、公正な機会均等、格差原理に関する基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — John Rawls(新しいタブで開きます)
  5. Rawls, J. (2001). Justice as Fairness: A Restatement. 公正としての正義を後年に整理した著作。原理の解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — John Rawls(新しいタブで開きます)
  6. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Original Position(新しいタブで開きます)。原初状態、無知のヴェール、社会制度を公平に考えるための思考実験についての解説。