例えば、ある管理職が、メンバーの自主性を尊重すること、異なる意見を受け入れること、公平に評価することといった原則を研修で学び、ほかの人に説明することもできるとします。しかし、実際の会議では、自分と異なる意見が出ると、すぐに否定してしまいます。
その管理職には知識があるかもしれません。しかし、知っていることを実際の行動として表せているかどうかは、別の問題です。組織が「顧客を第一に考える」という行動指針を掲げたときも、社員がその言葉を覚えていることと、実際の仕事でどのように判断するかは別の問題でしょう。
善いことを知っていることと、具体的な場面で善く判断し、行動できることは、同じではないのかもしれません。
今回は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』から、徳、中庸、実践知という概念を学びながら、仕事や組織における判断について考えたいと思います。
善い行動を「知っている」だけで、善い人になれるのか
アリストテレスの倫理学では、「アレテー」という概念が重要になります。アレテーは「徳」や「卓越性」と訳されます。人間が自分の能力を優れた形で発揮することに関わる概念です。アリストテレスは、徳の中でも、知的な徳と倫理的な徳を区別しました。知的な徳は、主に教育や経験によって発達します。一方、倫理的な徳は、習慣を通して形成されると考えました。
アリストテレスは、公正な行動を繰り返すことによって、公正な人格が形成されていくと考えました。ただし、同じ行動を何度も繰り返せば、必ず徳が身につくというわけでもありません。
習慣と、人格としての徳は同じではない
例えば、部下の意見を最後まで聞くようにしている管理職が、二人いるとします。
同じ行動でも、
選んだ理由は異なる
部下の意見を最後まで聞く、二人の管理職
管理職A注意されるから聞く
社内のルールに違反すると、注意されるから
決められた行動を繰り返している
管理職B知りたいから聞く
相手を尊重する重要性を理解し、その人の考えを知りたいから
なぜ善いのかを理解し、自分の判断として行動している
成熟した徳には、行動だけでなく、
選択の理由や感情のあり方も関わる。
※アリストテレス『ニコマコス倫理学』の議論をもとにした仮想例です。
これは、組織の行動指針を考えるときにも参考になると思います。「顧客を第一に考える」という指針でいえば、顧客の要求をすべて受け入れることが、顧客を大切にすることなのでしょうか。短期的な要望には応えず、将来の利益につながる別の提案をする方がよい場合はないでしょうか。
行動指針を言葉として共有することと、その指針を具体的な場面で実践できることの間には、距離があります。その距離を埋めるためには、知識だけでなく、経験や判断の積み重ねが必要になるのだと思います。
アリストテレスの「中庸」は、ちょうど真ん中を選ぶことなのか
アリストテレスの倫理学でよく知られている概念に「中庸」があります。中庸とは、過剰と不足の間にある適切なあり方を指します。例えば、恐怖から常に逃げてしまうことは、勇気が不足した状態として考えられます。一方で、危険を十分に考えず、無謀な行動を取ることも、勇気があることとは違います。その間にある適切なあり方が、勇気という徳に関係しています。
ただし、ここで誤解したくないことがあります。中庸は、二つの極端な行動の、数量的な真ん中を選ぶことではありません。
中庸は、平均ではない
例えば、ある企業の広告表現について、今すぐ広告を停止するべきだという意見と、批判を気にせず予定どおり継続するべきだという意見が対立したとします。中庸を「両方の意見を半分ずつ採用すること」と考えるなら、広告の半分だけを停止するという案が浮かぶかもしれません。しかし、その判断は本当に適切なのでしょうか。
もし広告の表現が、生活者に重大な誤解を与えているのであれば、明確な修正や停止が必要かもしれません。逆に、批判の根拠となっている事実が誤っているのであれば、丁寧な説明をしたうえで継続するという判断にも理由があります。必要なのは、二つの意見の中間を機械的に探すことではなく、何が問題になっているのか、誰にどのような影響が生じているのかを具体的に考えることです。
中庸とは、
二つの意見の真ん中ではない
勇気は、臆病と無謀の算術的な中間という意味ではない
※適切な位置は、数値的な中央に固定されるものではありません。
広告への批判が起きた場合
単純な折衷「半分だけ停止する」
真ん中を取ること自体が目的になる
状況にふさわしい判断「何が起きているか確かめる」
被害の可能性に応じた暫定対応も検討する
※アリストテレス『ニコマコス倫理学』第2巻をもとにした概念図です。すべての行為に適切な中間が存在するわけではありません。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第2巻で、中庸を、私たちにとっての適切さとして説明しています。同じ量であっても、ある人にとっては多すぎ、別の人にとっては少なすぎる場合がある。また、彼はすべての行為に中庸が存在するとも述べていません。窃盗など、それ自体が不正な行為については、適度な分量で行えば善いというものではないと論じています。
正しい判断が、必ず穏当な判断とは限らない
問題を大きくしたくないから、極端な判断を避ける。関係者の意見が分かれているから、間を取る。そうした方法が適切な場合もあるでしょう。しかし、重大な問題が起きている場合には、明確に行動することが必要になるかもしれません。反対に、感情的な反応に流されず、事実関係を調べることが重要な場合もあります。
中庸とは、決断を避けることではありません。何が適切なのかを、具体的な状況に即して判断することなのだと思います。
正しい判断を支える「実践知」とは何か
では、具体的な状況に応じて、何が適切かを見極めるためには、何が必要なのでしょうか。ここで重要になるのが、「フロネーシス」という概念です。フロネーシスは一般に「実践知」と訳されます。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第6巻で、この概念を詳しく論じています。
実践知は、普遍的な知識を持っていることだけではありません。個別の状況を理解し、何を目的として、どのように行動することが善いのかを判断する能力に関わります。
ルールを知っていても、判断できないことがある
例えば、企業が社員の働き方について、新しい制度を設けようとしているとします。どちらの方向を選んでも、一般的な原則だけでは判断が決まりません。
どの制度にも、
見落としやすい落とし穴がある
働き方の制度を見直す、二つの方向
長時間労働を減らす残業を厳しく制限する
本人が希望する学習や挑戦の機会まで、制限されないか
自主性を尊重する働く時間を自由に選べる
昇進に長時間労働が必要な組織なら、その自由は形式的にならないか
仕事の性質や事情の違いをどう扱うか
一律一つのルールを全員に当てはめる
顧客対応、集中作業、育児や介護などの違いを無視してしまう
個別すべてを個別の判断に任せる
公平さや透明性の問題が生じる
実践知は、具体的な状況で
何を考慮すべきかを見極める能力に関わる。
※働き方の制度は、実践知を考えるための仮想例です。
実践知は、仕事ができることと同じなのか
ここには、もう一つ重要な区別があります。実践知は、目的を達成するための器用さや、効率的な手段を見つける能力と完全に同じではありません。例えば、社員の不満を表面化させず、組織の評判を守るために、巧みに情報を操作できる管理職がいたとします。目的を達成するという意味では、優れた能力があるのかもしれません。しかし、それが社員の尊厳や自由を損なうのであれば、アリストテレスの実践知とは異なるでしょう。
実践知には、何を目指すべきかという善い目的への理解が関わります。この違いを知ると、仕事ができる人と、善い判断ができる人は、必ずしも同じではないのかもしれないと感じます。もちろん、現代の企業における能力評価を、アリストテレスの実践知だけで説明できるわけではありません。
「まず調査する」だけでは、十分ではない
では、実際に組織の働き方を見直すとしたら、どこから始めればよいのでしょうか。例えば、長時間労働を前提とする働き方に問題があるのではないかと感じたとします。しかし、社員自身はそれを問題だと感じていないかもしれません。実際には、仕事の任され方や評価制度に不満があるのかもしれません。この場合、最初から解決策を決めてしまうのではなく、何が問題なのかを調査することには意味があります。ただし、調査すること自体を、正しい判断と考えてはいけないのだと思います。
調査には、調査する側の前提が含まれる
例えば、最初から複数のキャリアコースを設けたいと思っていたとします。そのうえで社員への調査を実施すれば、回答の集め方や質問内容が、無意識のうちにその制度を正当化する方向へ偏る可能性があります。「柔軟な働き方を希望しますか」と尋ねるだけでは、社員が本当に解決したい問題は見えてこないかもしれません。
重要な仕事を任される機会について不満があるのか。
評価基準が不透明だと感じているのか。
業務量が特定の人に偏っているのか。
それとも、本人は現状に満足しているのか。
複数の可能性を考えたうえで、調査の内容を設計する必要があります。また、本人の意識と、組織の制度がどのように機能しているかは必ずしも一致しないため、実際の働き方や評価、案件の配分などのデータを確認することにも意味があるでしょう。
調査結果を待たずに守るべきこともある
一方で、社員の健康や安全に深刻な問題が生じているとしたらどうでしょうか。法令に抵触する労働環境や、重大な不利益が疑われる状況であれば、調査が終わるまで何もしないという判断は適切ではないかもしれません。問題の原因を調べることと、最低限守るべき条件を確保することは、並行して進める必要があります。
ここでも、実践知という考え方が参考になるのかもしれません。何を確かめる必要があり、どのような行動を今すぐ取るべきなのか。そうした判断には、状況の理解と、何を守るべきかという価値判断の両方が必要になるのでしょう。
幸福を支えるのは、優れた経営者なのか、制度なのか
ここまでの議論には、もう一つ大切な反論があると思います。アリストテレスの徳倫理学は、優れた人格や実践知を重視します。しかし、社員の幸福や権利を、経営者や管理職の人格に委ねてよいのでしょうか。
例えば、ある経営者が非常に思慮深く、社員の状況を理解しながら柔軟に判断していたとします。その人が経営している間は、組織がうまく機能するかもしれません。しかし、次の経営者が同じように判断できるとは限りません。思慮深い経営者であっても、立場の違いによって見えない問題があるかもしれません。だからこそ、組織を個人の善意や人格だけで支えることには限界があると思います。
よい制度は、よい人だけを前提にしない
評価の基準や仕事の配分を確かめる仕組みは、経営者や管理職が善意を持っているかどうかにかかわらず、組織をより公正に運営するための支えになります。もちろん、制度を整えるだけで、すべての問題がなくなるわけではありません。
人の判断と制度は、
互いの限界を補い合う
People人の判断
想定していなかった状況に、具体的な事情を踏まえて対応する
偏ったり誤ったりする可能性がある。次の経営者が同じように判断できるとは限らない。
Systems制度
- 評価の基準を明確にする
- 重要な仕事の配分を確認する
- 異なる働き方を選んだ人が、不合理な不利益を受けていないか調べる
- 安心して意見を伝えられる方法を用意する
どれほど詳細なルールを用意しても、想定していなかった状況は起こる。
どちらか一方だけが必要、
という関係ではない。
制度だけでは対応できない状況を、人の判断が補う。人の判断が偏ったり誤ったりする可能性を、制度が補う。
※本文の議論をもとに整理した独自の図です。
古代の思想を、現代にそのまま当てはめてよいのか
ここまで、アリストテレスの思想を、現代の働き方や組織に接続してきました。しかし、古代ギリシャで生きた彼の思想を、現代の企業にそのまま当てはめることはできません。彼の政治思想には、奴隷制や男女の役割について、現代の人権や平等の考え方とは相容れない部分があります。
それでも、古典を学ぶ意味はあると思います。すべての主張に同意する必要はありません。むしろ、現代の考え方との違いも含めて検討することで、普段は当然だと思っている価値観を、別の角度から考えられるようになるからです。
おわりに|知っていることを、状況の中で判断する
今回、徳や実践知の議論から考えたのは、善いことを知っているだけでなく、実際に善く判断し、行動することの重要性でした。一方で、組織を経営者や管理職の人格だけで支えることにも限界があります。人の判断と制度は、互いの限界を補い合うものなのだと思います。
もちろん、何が公平な機会なのかを決めることも、簡単ではありません。すべての人が同じ機会を得るべきなのか。異なる事情を持つ人々に、どのような配慮が必要なのか。考えるべきことは、まだ残っています。最後に、もう一つの問いが残ります。
選択肢が用意されていても、人によって与えられる機会が違うとき、その組織を公平だと呼べるのでしょうか。
参考文献・出典
現代の働き方やキャリア制度、広告判断に関する事例は、古典の内容を理解するための仮想例です。アリストテレス本人の議論と、現代の組織に対する筆者の考察は区別して記述しています。
- Aristotle, Nicomachean Ethics(『ニコマコス倫理学』)。特に第1巻(幸福)、第2巻(徳と中庸)、第6巻(実践知)、第10巻(観想的生活)。原典英訳:Internet Classics Archive(新しいタブで開きます)
- Kraut, R. "Aristotle's Ethics." Stanford Encyclopedia of Philosophy(2026年8月11日改訂)。アリストテレスの幸福論、徳、中庸、実践知、外的な善に関する学術解説。Stanford Encyclopedia of Philosophy(新しいタブで開きます)
- Aristotle, Nicomachean Ethics, Book II. 中庸の考え方や、算術的な平均との違いについての原典。原典英訳:Perseus Digital Library(新しいタブで開きます)



