ある組織に、長年続いている慣習がある。毎週、全員が集まる会議を開く。内容は形式的で、参加者の多くは必要性を感じていない。それでも会議は続いている。
若手社員は、先輩たちが大切にしているのだろうと考えている。中堅社員は、管理職が必要としているのだろうと思っている。管理職は、長年続いている以上、現場にも一定の意味があるのだろうと判断している。
誰も積極的に望んでいないかもしれない。しかし、誰も廃止を提案しない。その結果、会議は翌週も開かれる。
これは説明のために設定した架空の事例だが、似た構造を持つ状況は想像できる。学校の決まり、冠婚葬祭の慣習、地域の行事、組織内の暗黙の了解。「昔からこうしている」という理由で続いているもののなかには、現在の参加者が本当に望んでいるのか、確かめられていないものもあるだろう。もっとも、長く続いているからといって、その慣習に意味がないとは限らない。個人には負担であっても、集団全体に必要な役割を果たしている可能性はある。
ここで考えたいのは、慣習の必要性そのものではない。
私たちは、何を根拠に「みんなが望んでいる」と判断しているのだろうか。
人々が同じ行動を繰り返している。
反対する人がいない。
誰も変更を求めない。
こうした状況を見れば、その慣習は多くの人に受け入れられているように感じられる。しかし、同じ行動をとっていることと、同じ考えを持っていることは、本当に同じなのだろうか。
前回の記事では、物の価値を誰が決めているのかを考えた。今回は、集団のなかで「みんながそう思っている」と判断するとき、何が起きているのかを考えたい。その手がかりが、社会心理学における「多元的無知」である。
Questions美術館に置くだけで、普通の箱は芸術になるのか?ダントー、ディッキー、デューイから、価値を決めるものを問い直す。
「みんなが賛成している」という誤解
多元的無知(Pluralistic Ignorance)とは、集団の多くの人が個人的にはある規範を受け入れていないにもかかわらず、他の人々はその規範を受け入れていると誤って考えている状態を指す。重要なのは、単に周囲に合わせていることではない。自分は違和感を抱いているのに、他の人は違和感を抱いていないと思い込んでいる。そこに、多元的無知の特徴がある。
同じ行動は、
同じ本音を意味しない
三人とも慣習を積極的には支持していない。それでも、三人とも従い続ける
- Aさん慣習に従う「BさんとCさんが必要だと思っているはず」
- Bさん慣習に従う「AさんとCさんが望んでいるはず」
- Cさん慣習に従う「AさんとBさんが支持しているはず」
Observable観察できる事実
3人とも同じ行動をとった
Hidden観察だけではわからないこと
3人が本当に望んでいるかどうか
Before
「なぜ全員が従っているのか?」
After
「全員が賛成していると、なぜ判断したのか?」
行動の一致は、選好の一致を直接意味しない。
外から観察できるのは、「全員が同じ行動をとっている」という事実だけ。個人の内側にある違和感や迷いは、そこから直接読み取ることができない。
※多元的無知の基本的な構造は Prentice & Miller(1996)の議論に基づきます。A・B・Cの具体的な思考は、構造を説明するための筆者による架空の例です。
この区別が、社会規範を考えるうえで重要になる。
大学生の飲酒文化から見えてきたこと
多元的無知を研究した代表的な論文の一つが、デボラ・プレンティスとデール・ミラーによる1993年の研究である。研究者たちが注目したのは、アメリカの大学における飲酒文化だった。大学生活では、飲酒が社交的な行為として扱われることがある。周囲の学生が飲酒に積極的であれば、自分も同じように振る舞うべきだと感じるかもしれない。しかし、その学生たちは、本当に飲酒文化を好意的に受け止めているのだろうか。
プレンティスとミラーは、大学生自身の飲酒に対する態度と、周囲の学生がどのような態度を持っていると推測しているかを比較した。
自分の態度と、
周囲の態度の推測がずれていた
Self自分自身
飲酒文化に、いくらか
居心地の悪さを感じている
Average Student平均的な学生(の推測)
自分よりも、飲酒文化を
肯定的に受け止めている
一学期間の態度を追跡すると
Male Students男子学生
自分たちが周囲の一般的な態度だと考えていた方向へ、態度が変化した。
Female Students女子学生
同様の変化は確認されなかった。
周囲の規範を誤って推測することは、
一時的な同調にとどまらない場合がある。
ただし、「人は必ず集団に合わせて価値観を変える」と一般化することはできない。研究対象は特定の大学の飲酒文化であり、態度変化にも性差が見られた。
※Prentice & Miller(1993)の四つの研究の結果を要約した図です。
この研究が示す重要な点は、別のところにある。周囲の人々が何を考えているかについて、私たちは意外なほど誤って判断することがある。しかも、その誤った判断が、実際の行動や態度に影響する場合があるのだ。
なぜ、同じ行動から違う本音を読み取ってしまうのか
ここで一つ、疑問が生まれる。なぜ人は、他者の考えを誤って推測してしまうのだろうか。他者の心を直接知ることはできない。だから、私たちは相手の行動を観察し、その人が何を好んでいるのかを考える。しかし、行動には複数の理由が存在する。
ある商品を購入した人が、その商品を強く気に入っているとは限らない。
価格が安かったのかもしれない。
他に選択肢がなかったのかもしれない。
家族が必要としていたのかもしれない。
行動だけを観察しても、その背景にある理由は一つに定まらない。この問題を実験的に検討した日本の研究がある。岩谷舟真と村本由紀子が2015年に発表した、多元的無知の生起と帰結を扱う研究である。
研究者たちは、大学生に複数のグミを試食してもらい、それぞれの好みを調べた。参加者は、好きなグミを二つの選択肢から選ぶ課題を行う。ここで重要なのは、積極的な選択と消極的な選択の違いだった。そのうえで研究者たちは、参加者に、別の参加者も自分と同じ選択をしたと知らせた。実際には相手は実験協力者であり、同じ選択をしたという情報が与えられていた。
選んだものは、
本当に好きなものなのか
同じ選択でも、意味が違う
Positive Choice好きなもの同士の比較
1位>3位
好ましいものを、積極的に選ぶ
Negative Choice好きではないもの同士の比較
4位>7位
より好ましくないものを避ける。4位を積極的に好んでいるわけではない
他者の同じ選択を、どう解釈したか
グミの評価額(支払ってもよい価格、平均値)
| 評価対象 | 自分 | 相手の予想 |
|---|---|---|
| 自分にとって3位のグミ | 94.36円 | 91.55円 |
| 自分にとって4位のグミ | 81.66円 | 96.87円 |
Result
47名のうち19名が、自分の好みよりも、
推測された相手の好みに沿う選択をした
相手の好みの推測と、実際にどちらを選んだかの間には、統計的に有意な関連が見られた
自分の選択は、選択肢が限られていた結果だと理解できる。
しかし、他者の同じ選択は、積極的に望んだ結果だと考えてしまう。
相手も自分と同じ選択をしたと知らされていたにもかかわらず、相手は4位のグミを高く評価していると推測する傾向があった。
※評価額と人数は岩谷・村本(2015)の表1・本文に基づく実験データ(分析対象47名)です。「積極的/消極的」という比較の見せ方は筆者による編集です。実験は二人一組という限定された状況で行われており、この数値を実社会の集団にそのまま当てはめることはできません。
それでも、この実験は、同じ行動が異なる意図から生まれ、その違いが観察者に正しく理解されない可能性を、具体的に示している。「その人は何を選んだのか」だけでなく、「その人には、どんな選択肢があったのか」を考える必要があるのだろう。
沈黙もまた、同意として解釈される
他者の行動を誤って解釈することは、選択や購入だけに限られない。沈黙もまた、解釈の対象になる。ある集団で、一つの方針が提案されたとする。誰も反対しなかった。そこで提案者は、全員が受け入れたのだろうと判断する。しかし、沈黙にはさまざまな理由がある。
「誰も反対しなかった」の
背後にあるもの
- 賛成本当に賛成している。
- 判断できない十分な情報がなく、判断できない。
- 不利益への懸念反対すると不利益を受けると感じている。
- 思い込み自分だけが違う考えを持っていると思い込んでいる。
外から観察できるのは、発言がなかったという事実だけ。
それが「同意」なのか、「無関心」なのか、「反対できない状態」なのかは、沈黙だけでは判断できない。
にもかかわらず、私たちは沈黙に意味を与える。エリザベス・モリソンとフランシス・ミリケンは、2000年の論文で「組織的沈黙(Organizational Silence)」を論じた。彼女たちは、組織内で問題や懸念についての情報が広く共有されなくなる現象に注目し、発言を控えることが合理的だと受け止められる組織的条件を検討した。この研究は理論的なモデルを提示したものであり、あらゆる組織で沈黙が同じ理由から生じると実証したものではない。それでも、沈黙を単なる個人の性格や積極性の問題として片づけず、組織の構造との関係で捉える視点を与えてくれる。
ここには、個人と集団の間にある難しさが表れている。自分一人が発言しなかった場合、周囲への影響は小さいと感じるかもしれない。しかし、それぞれの人が同じ理由で発言を控えたとしたらどうなるだろう。
一人ひとりの沈黙が、
集団の雰囲気をつくる
01
それぞれが、同じ理由で発言を控える
02
全員が沈黙しているように見える
03
観察した人が、「反対する人はいない」と判断する
04
次の場面では、さらに発言しにくくなる
再び01へ
個人の選択が集団の雰囲気をつくり、
その雰囲気が個人の選択を制約する。
※こうした循環が成立する可能性を示した、筆者による概念図です。
本当の考えを隠すことは、社会をどう変えるのか
多元的無知に隣接する問題を、政治経済学の立場から論じた研究者がティムール・クランである。クランは1995年の著書『Private Truths, Public Lies』で、「選好偽装(Preference Falsification)」という概念を中心に、個人の本音と公的な態度の不一致が社会に与える影響を考察した。選好偽装とは、社会的な圧力などを考慮して、自分が本当に望んでいることとは異なる態度を表明することである。ここで区別しておきたいことがある。
多元的無知と選好偽装は、
関係するが同じ概念ではない
Pluralistic Ignorance多元的無知
他者の考えを、誤って認識する
- 周囲の態度を誤解していても、自分自身の意見を隠さない人もいる
Preference Falsification選好偽装
自分の本当の選好とは異なる態度を、公に示す
- 周囲の本音を正確に理解していても、権力者からの不利益を避けるために賛成しているふりをする人もいる
※例は、二つの概念の違いを説明するための筆者による架空の例です。
クランが理論的に検討した重要な問題の一つは、本音と公的な態度のずれが、社会の意思決定や知識、制度の安定性に影響しうることだった。多くの人が支持していない制度でも、表面的な支持によって維持される場合がある。そのような制度は、外からは安定して見えるかもしれない。しかし、公的な態度と個人的な選好の間に大きなずれがあるなら、社会的な変化が突然生じる可能性もある。
これはクランの理論が提示する重要な見方だが、特定の革命や社会変動が必ず選好偽装によって生じたと断定できるわけではない。政治的な制度変化には、経済、権力、制度、情報など、さまざまな要因が関わる。クランの議論は、その複雑な現象の一側面を理解するための理論である。
社会規範は、単なる思い込みではない
ここまで考えると、社会に残る慣習は、人々の誤解によって維持されているように思えるかもしれない。しかし、それも単純化しすぎだろう。社会規範には、人々の行動を調整する役割がある。交通ルール、公共の場での振る舞い、順番を守る習慣。こうした規範は、個人の希望だけで決まるものではない。
社会規範の研究では、人々が規範に従うかどうかを、他者がどう行動するかについての期待や、他者から何を期待されているかという見通しと結びつけて考えることがある。
合理的な選択は、
他者への期待によって変わる
- 自分の希望自分がどのように行動したいか
- 他者の行動他者がどのように行動すると思っているか
- 他者の期待他者が自分にどのような行動を期待していると思っているか
人々は、単に規範を心から信じているから従うとは限らない。
周囲の行動や期待を踏まえて、その場における選択をしている場合がある。ただし、規範に従うことが必ずしも誤りだというわけでもない。個人の選好とは異なる行動でも、集団の調整や他者への配慮として意味を持つことがある。
※社会規範と他者への期待の関係を、筆者が整理した図です。
ここで問題になるのは、規範の存在そのものではない。その規範が何のために存在し、誰にとってどのような意味を持ち、現在も必要とされているのか。それを問い直せなくなることではないだろうか。
長い間続いている制度には、歴史的な理由があるかもしれない。しかし、その制度が始まったときの理由と、現在も維持されている理由が同じであるとは限らない。当初は合理的だった制度が、環境の変化によって意味を変えることもある。反対に、現在の利用者が十分に理解していないだけで、重要な役割を果たしている場合もある。だからこそ、「誰も望んでいないはずだ」と考えるだけでも不十分である。
本当に望まれていないのか。
誰かにとって必要なのか。
必要だとして、それは現在の形でなければならないのか。
こうした異なる問いを区別する必要がある。
「みんなが選んでいる」は、何を意味するのか
この問題を、もう少し広い社会のなかで考えてみたい。商品やサービスの世界には、「多くの人が選んでいる」という情報がある。人気ランキング、販売実績、口コミ件数。こうした情報は、商品を選ぶ際の参考になる。多くの人が購入しているという事実には、一定の意味があるからだ。しかし、購入した人が全員、積極的な好意によって選んだとは限らない。価格、流通、選択肢の少なさ、周囲の期待、所属する集団での慣習。さまざまな条件が、選択を形づくっている。
ここから先は、前述の研究結果をそのまま当てはめるのではなく、筆者としての考察である。私たちは、集団の行動を「人々が何を望んでいるか」の証拠として利用している。市場調査でも、組織の意思決定でも、社会の動向を理解するときでも同じことがある。もちろん、行動の記録には価値がある。本人の申告よりも、行動のほうが実際の選択を正確に示す場合もある。それでも、行動を記録することと、行動の理由を理解することは異なる。
記録できる行動と、
そこからはわからない選好
- 購入された商品選ばれた商品であるしかし、最も望まれていた商品だったとは限らない。
- 継続されている制度維持されている制度であるしかし、最も支持されている制度だったとは限らない。
- 反対されなかった決定反対されなかった決定であるしかし、全員が賛成した決定だったとは限らない。
私たちは目に見える行動をもとに、
目に見えない選好を推測している。
※研究結果をそのまま当てはめたものではなく、筆者による考察です。
その推測が正しい場合もあれば、誤っている場合もある。問題は、推測していること自体を忘れ、それを確かな事実として扱ってしまうことなのかもしれない。
すべての「当たり前」を疑えばよいのか
ここまでの議論には、もう一つ注意が必要だ。集団の慣習に違和感があるからといって、その慣習が誤っているとは限らない。また、少数派だと感じている人が、本当に多数派の意見を代表しているとも限らない。多元的無知は、実際の選好と、周囲の選好についての推測がずれている状態である。したがって、その状態が存在するかどうかを判断するためには、個人の選好と他者への推測の両方を確かめる必要がある。自分が反対しているから、多くの人も反対しているはずだと考えることもまた、別の誤りにつながる。
さらに、沈黙の背後には、単なる認識のずれではなく、実際の権力関係が存在する場合もある。発言すれば不利益を受ける。所属する集団から排除される。生活や仕事に具体的な影響が及ぶ。そうした状況を、「みんなが本音を話せば解決する」と捉えることはできない。自由に意見を述べられる条件そのものが保障されていない場合、問題は個人の勇気ではなく、制度や力関係にもあるからだ。したがって、社会規範を問い直すことは、単に隠された本音を探すことではない。
誰の意見が表に出るのか。
誰の沈黙が同意として数えられるのか。
意見が異なることを表明できる条件があるのか。
そして、集団の決定は、何を根拠に正当化されているのか。
こうした問題にまで、問いを広げていく必要がある。
「なぜ従うのか」から、
「誰の同意を確かめたのか」へ
01|Guess
推測
「周囲の人は、このルールを支持しているはず」
02|Action
行動
自分もルールに従う
03|Observation
観察
他の人もルールに従っているように見える
04|Conviction
確信
「やはり、みんなが支持している」
01の推測が強まる可能性がある
この循環を、どう捉え直すか
Before従来の問い
- なぜ誰も変えないのか?
- なぜ反対しないのか?
- なぜ従い続けるのか?
After捉え直した問い
- 誰が維持を望んでいると推測しているのか?
- 反対を表明できる条件があるのか?
- 行動の一致を同意とみなしていないか?
その「みんな」の考えを、
私たちは本当に確かめたのか?
※循環の基本的な考え方は多元的無知研究に基づきます。四段階の整理と問いの捉え直しは筆者独自の図で、実験で確立された固定的な四段階モデルを示すものではありません。
おわりに|その「みんな」は、誰なのか
ある慣習が続いているとき、私たちは理由を探そうとする。
なぜ誰も変えようとしないのか。
なぜ同じことを繰り返すのか。
なぜ新しい方法を受け入れないのか。
こうした問いには、一つの前提がある。その慣習を維持している人々は、少なくとも何らかの理由で、それを支持しているはずだという前提である。しかし、多元的無知の研究は、その前提を疑う視点を与えてくれる。
人々は、自分が望まないことを、他者が望んでいると思い込む場合がある。他者の行動を観察し、その背景にある事情を十分に知らないまま、他者の考えを推測する。その推測をもとに自分自身が行動し、その行動がさらに他者の推測を支える。こうした循環が起こりうる。
だから、ある慣習が続いている理由を考えるとき、最初から「どうすれば人々の考えを変えられるか」と問う必要はないのかもしれない。その前に、別の問いがある。
私たちは、誰の同意を、何を根拠に確かめたのだろうか。
「みんながそう思っている」。その言葉を聞いたとき、そこにいる「みんな」とは誰なのか。そして、その人たちが本当に何を望んでいるのか。
私たちは、どこまで知っているのだろうか。
参考文献・出典
冒頭の会議、A・B・Cの三人、沈黙の例などは、概念を説明するための筆者による架空の例です。研究の知見と、筆者による考察は区別して記述しています。岩谷・村本(2015)は全文を、そのほかの文献は公開抄録・書誌情報を確認しています。
- Prentice, D. A. & Miller, D. T. (1993). Pluralistic Ignorance and Alcohol Use on Campus: Some Consequences of Misperceiving the Social Norm(新しいタブで開きます). Journal of Personality and Social Psychology, 64(2), 243–256. 大学生の飲酒文化をめぐる自己と他者の認識のずれを、四つの研究で検討した論文。
- Prentice, D. A. & Miller, D. T. (1996). Pluralistic Ignorance and the Perpetuation of Social Norms by Unwitting Actors(新しいタブで開きます). Advances in Experimental Social Psychology, 28, 161–209. 多元的無知が社会規範の維持に関わる仕組みを整理した論文。
- 岩谷舟真・村本由紀子(2015). 多元的無知の先行因とその帰結:個人の認知・行動的側面の実験的検討(新しいタブで開きます). 『社会心理学研究』31(2), 101–111. グミの選択課題を用いて、他者の選好の推測と行動の関係を検討した実験研究。
- Kuran, T. (1995). Private Truths, Public Lies: The Social Consequences of Preference Falsification(新しいタブで開きます). Harvard University Press. 選好偽装が社会の意思決定や制度の安定性に与える影響を論じた著作。
- Morrison, E. W. & Milliken, F. J. (2000). Organizational Silence: A Barrier to Change and Development in a Pluralistic World(新しいタブで開きます). Academy of Management Review, 25(4), 706–725. 組織内で懸念が共有されなくなる「組織的沈黙」の条件を理論的に検討した論文。