1964年、アンディ・ウォーホルは《ブリロ・ボックス》を発表しました。スーパーマーケットで販売されていた、Brilloという台所用洗浄パッドのパッケージによく似た作品です。赤と青の文字が印刷された箱は、日用品の包装を思わせます。ただし、実際の商品用の箱とは異なり、ウォーホルの作品は木製の箱に印刷を施して制作されています。素材は同じではありませんが、外観はよく似ています。

では、ここで二つの箱を考えてみます。一つは、商品を販売するための箱。もう一つは、芸術作品として制作された箱。私たちは、一方を日用品のパッケージとして扱い、もう一方を美術館で鑑賞する作品として扱います。この違いは、どこから生まれるのでしょうか。箱の見た目だけが理由なら、二つの箱は似たものとして評価されるはずです。しかし、芸術作品かどうかという問いになると、外観だけでは説明できないことがあるようです。

例えば、スーパーマーケットにある商品用の箱を、美術館へ運び込んだとします。
それだけで芸術作品になるのでしょうか。
逆に、《ブリロ・ボックス》をスーパーマーケットに置いたら、芸術作品ではなくなってしまうのでしょうか。

そして、もう一つ考えてみたいことがあります。美術館で展示されている作品だからといって、私たちはそれを優れた作品だと評価しなければならないのでしょうか。ここには、異なる問題が混ざっているように思います。

「芸術なのか」という問いに、
三つの問題が混ざっている

  1. 成立その物は、芸術作品なのか
  2. 意味その作品には、どのような意味があるのか
  3. 評価その作品は、優れているのか、価値があるのか

これらは、必ずしも同じ問いではない。

前回の記事では、人が何かを選ぶとき、周囲の人々との関係がどのように関わるのかを考えました。今回は、選ばれる物の側から、価値について考えてみます。芸術哲学を手がかりに、三つの問題の違いを確かめていきたいと思います。

Questions私たちは、なぜ人と同じものを選び、人と違いたがるのか?流行とブランドの社会学から、「自分らしい選択」を問い直す。

美しいから、芸術になるのか

芸術作品について考えるとき、私たちは美しさを思い浮かべます。精緻に描かれた絵画。整った形の彫刻。豊かな色彩や、繊細な表現。こうした作品を見て、美しいと感じることがあるでしょう。しかし、美しいものは、すべて芸術作品なのでしょうか。また、高度な技術によって制作されていることが、芸術作品の条件になるのでしょうか。

美しさや技術だけで、
芸術を説明できるのか

  1. 夕焼けの空美しいが、人間の作品ではないその美しさは、人間が制作した芸術作品の美しさと同じなのか。
  2. 工業製品美しいが、実用品実用的な目的でつくられた家具や製品にも、美しいと感じるものがある。
  3. 不快を生む作品美しくないが、芸術作品不安や恐怖、怒りを引き起こし、社会の問題を考えさせる作品もある。
  4. 既製品の作品高度な技術はないが、芸術作品既製品を使って制作された作品もある。

美しく感じられないことや、技術がないことを理由に、
芸術作品から除外するのは難しい。

既製品を使って制作された作品の代表的な例が、マルセル・デュシャンの《泉》です。

便器を選ぶことは、作品をつくることなのか

1917年、マルセル・デュシャンは、ニューヨークの独立美術家協会の展覧会へ《泉》という作品を提出しました。その作品は、男性用の小便器を利用したものでした。デュシャンは既製品を選び、通常の用途から切り離して、新しい名前を与えました。これは、後にレディメイドと呼ばれる芸術表現の重要な事例となります。興味深いのは、《泉》が当初の展覧会で展示を拒否されたことです。

《泉》は、
置かれただけで芸術になったのではない

1917

既製品を選び、展覧会へ提出する

独立美術家協会は、審査による選別を行わない方針を掲げていた

Rejected

展示を拒否される

デュシャンは、その決定に抗議して辞任する

Debate

写真と議論が雑誌に掲載される

芸術とは何かという問いが広まっていく

Today

芸術の境界をめぐる重要な事例になる

1917年のオリジナルは現存せず、現在知られる展示作品には、後年の複製も含まれる

芸術作品であることは、
展示する場所だけによって自動的に決まるわけではない。

※フィラデルフィア美術館の解説などをもとにした筆者による整理です。

ここで、最初の問いに戻りたいと思います。美術館や展覧会に置けば、普通の物は芸術になるのでしょうか。もし、それだけで芸術作品になるのであれば、《泉》は提出された時点で受け入れられたはずです。しかし、実際には拒否されました。その出来事自体が、芸術の境界をめぐる議論を生み出しています。

私は、この歴史が重要だと思います。作品を理解するためには、作者が何を選び、どのような問題を提起し、その時代の芸術とどのような関係を持っていたのかを考える必要がありそうです。ただし、作者が「これは芸術だ」と宣言すれば、すべての物が芸術になるのかという問題も残ります。作者の意図は重要かもしれませんが、それだけで芸術についての議論が終わるわけではないのです。

見た目が同じでも、意味は違うのか

1964年、哲学者アーサー・ダントーは「The Artworld」という論文を発表しました。ダントーが考えたのは、普通の物体と芸術作品が、見た目だけでは区別できない場合に、何がその違いを説明するのかという問題です。ウォーホルの《ブリロ・ボックス》は、この問いを考える重要な事例になりました。

見た目が似ていても、
同じものとして理解できるか

Ordinary Object商品用のBrillo箱

  • 包装・輸送・販売のための物
  • 見る人は、デザインから商品名や用途を認識する

Artworkウォーホルの《ブリロ・ボックス》

  • なぜ、すでに存在する商品のパッケージを題材にしたのか
  • 大量生産される商品と、一点の作品として扱われる芸術には、どのような関係があるのか
  • 芸術作品は、日常にある物と見た目が違っていなければならないのか

外観だけでなく、
制作・理論・歴史を考える。

これらの問いは、箱の表面を観察するだけでは十分に答えられない。その時代の芸術がどう変化し、それ以前にどのような作品がつくられてきたのか。作品が芸術について問題を提起している理由を理解するには、理論や歴史的な文脈が必要になる。

※ダントーのアートワールド論をもとにした筆者独自の図です。両者は素材まで完全に同一ではありませんが、外観の類似が芸術の定義を考える手がかりになります。

ダントーは、芸術作品を理解するために、芸術理論や芸術史の文脈が重要になることを論じました。ここでいう「アートワールド」は、単に美術館やギャラリーなどの場所を指すものではありません。作品が芸術として理解されるための理論的・歴史的な背景を含んでいます。

ただし、これは物体の特徴が重要でないという意味ではありません。ウォーホルの作品が商品用の箱によく似ていることには、重要な意味があります。普通の箱との類似があるからこそ、両者の違いが問題になるのです。物体の外観を無視してよいのではありません。外観だけでは、作品について十分に理解できないということです。私は、この違いを大切にしたいと思います。

芸術作品だと認めるのは、誰なのか

ダントーの議論とは異なる方向から、芸術作品を社会的な制度との関係で説明しようとした人物がいます。哲学者ジョージ・ディッキーです。ディッキーは1974年の『Art and the Aesthetic』や、1984年の『The Art Circle』などで、芸術の制度論を展開しました。初期の理論では、芸術の世界に関わる人々によって、鑑賞の候補としての地位が与えられることが重視されています。後の理論では、芸術家、作品、鑑賞者、アートワールドなどの関係から、芸術作品を理解しようとしました。

ここで興味深いのは、芸術作品を、作品そのものの物理的な性質だけでは説明しようとしないことです。芸術作品は、社会の中で制作され、提示され、鑑賞されます。そこには、作者だけでなく、鑑賞者や美術館、さまざまな芸術活動の仕組みが関わっています。しかし、この考え方には重要な批判もあります。

制度が認めることは、
何を説明しているのか

Institution

芸術の制度

作品を扱うから、芸術の制度

Artwork

芸術作品

制度で扱われるから、芸術作品

Critique

制度論に向けられる問い

  • 制度自体は、何によって芸術の制度だと判断できるのか(議論が循環する可能性)
  • 制度の外側で生まれた作品を、どう扱うのか
  • 制度は誤った判断をすることもある。当初は評価されなかった作品が、後の時代に再評価されることもある

分けて考えたい二つの説明

Status成立

「美術館が認めたから芸術である」

Evaluation評価

「専門家が評価したから優れた作品である」

芸術作品として成立することと、
優れた作品として評価されることは、同じではない。

※ディッキーの制度論と、それに向けられてきた代表的な批判を、筆者が整理した図です。

何かを芸術作品として扱うことができても、それを美しいと感じるか、優れていると判断するかについては、別の議論が必要なのでしょう。

作品の価値は、美術館の外にもあるのか

ここまでの議論では、作品が芸術として成立する条件を考えてきました。しかし、そもそも芸術を考えるとき、美術館や専門家の存在を中心に置くことは、どこまで適切なのでしょうか。この問題について、異なる視点を示す人物がいます。アメリカの哲学者ジョン・デューイです。

デューイは1934年の『Art as Experience』で、芸術を人間の経験との関係から考えました。彼は、美的な経験を、いわゆる美術作品だけに限定することに批判的でした。例えば、音楽に強く心を動かされた経験について考えてみます。音楽を聴く場所が美術館やコンサートホールである必要はないでしょう。あるいは、日常生活の中で、丁寧につくられた道具を使うことに喜びを感じる場合もあるかもしれません。

もちろん、日常的に心地よい経験があれば、すべて芸術になるという意味ではありません。デューイの議論では、人間と環境との関わりの中で、経験がどのようにまとまりや充実を持つのかが重要になります。芸術を完成された物体だけで考えるのではなく、つくる人と受け取る人の経験を含めて考えるのです。同じ音楽を聴いても、ある人は強く感動し、別の人はほとんど関心を持たないかもしれません。同じ人でも、人生の異なる時期に聴くことで、その音楽から得る経験が変わる可能性があります。その作品の意味は、作品を取り巻く制度だけでなく、人間がそれとどう関わるかによっても考える必要があるのではないでしょうか。

芸術についての問いは、
一つではない

  1. 01なぜ芸術なのかダントー:普通の物と芸術作品の違いを、理論や芸術史の文脈から考える。
  2. 02どう成立するのかディッキー:芸術の制度的な成立を、芸術家・作品・鑑賞者などの社会的な関係から説明する。
  3. 03どう経験されるのかデューイ:美的な経験と日常生活の関係を、人間と環境の相互作用から考える。

成立・意味・経験・評価を、
混同していないだろうか。

※三人は、同じ問いに対する三つの対等な答えを示したわけではなく、単一の価値評価モデルを提唱したわけでもありません。関心の中心が異なる議論を、問いの種類によって整理した筆者独自の図です。

私は、この違いを一つの理論へ無理にまとめるよりも、それぞれが何を問題にしているのかを分けて考えたいと思います。

商品に物語を加えれば、価値が生まれるのか

ここまで芸術哲学を読んできましたが、私にはもう一つ気になることがあります。商品やブランドの価値についても、物そのものの特徴だけでは説明できないことがあるのではないでしょうか。例えば、同じ家具を二つのWebサイトで紹介しているとします。

同じ家具でも、
添えられた情報で評価が変わることがある

Site A仕様を伝える

  • 素材・サイズ・価格・機能

Site B仕様に、背景を加える

  • 素材・サイズ・価格・機能
  • 制作した職人の考え方
  • デザインの背景
  • ブランドの歴史

ただし、「物語を加えれば、商品価値が高まる」とは結論づけられない

  • 職人のこだわりについての長い説明も、実際の製造方法と関係がなければ問題がある
  • 詳細な情報を読むより、家具の使いやすさを確かめたい人もいる

価値を理解するために必要な情報は、
商品や利用者によって異なる。

※論点を説明するための仮想例です。

後者の情報を読むことで、それまで気づかなかった素材の特徴や、制作上の工夫に目を向けるようになる人もいるでしょう。しかし、ダントーの議論から、商品の物語を充実させれば売れるという結論を引き出すことはできません。ダントーが扱ったのは、芸術作品を理解する際の理論や歴史の重要性であって、商品の販売効果ではないからです。

一方、消費者行動研究には、芸術が商品の評価に与える影響を調べた研究があります。2008年、ヘンリック・ハグトヴェットとヴァネッサ・パトリックは、「Art Infusion」という研究を発表しました。広告やパッケージ、商品デザインなどに視覚芸術を取り入れたときの商品評価を、三つの研究を通して検討しています。そこでは、芸術から連想される高級感が、商品の評価へ波及する現象が示されています。

変わるのは評価であって、
品質ではない

Context

商品の周囲にある情報

広告・パッケージ・商品デザインに取り入れた視覚芸術など

Evaluation

商品の評価

芸術から連想される高級感が波及し、変わる場合がある

Quality

商品の機能・品質

評価が変わっても、それ自体は変わらない

※ハグトヴェットとパトリック(2008)の研究を要約し、評価と品質の区別を加えた筆者による図です。研究で検討された条件を超えて、すべての商品で芸術を使えば効果が出ると一般化することはできません。

私は、この違いが重要だと思います。商品に対する評価は、その商品の特徴だけでなく、周囲にある情報によって変わる場合があります。しかし、評価が変わることによって、商品そのものの機能や品質まで変わるわけではありません。それでは、私たちが普段使っている「価値」という言葉は、何を指しているのでしょうか。

価値をつくるのは、企業なのか、顧客なのか

企業がブランドをつくるとき、自社の商品にはどのような価値があるのかを考えます。そして、その価値を顧客へ伝えようとします。しかし、企業が決めた価値は、そのまま顧客にとっての価値になるのでしょうか。

例えば、ある商品が、もともとは実用的な道具として販売されていたとします。ところが、特定のコミュニティでは、その商品のデザインや歴史が評価されるようになりました。その商品を持つことが、特定の文化への関心を示すものとして受け取られるようになったとします。この場合、企業が最初に想定していた価値とは異なる意味が、利用者の間で形成されている可能性があります。反対に、企業が強調している価値が、顧客にはほとんど伝わっていない場合もあるでしょう。顧客が商品の機能や使いやすさを重視しているのに、企業が歴史や思想ばかり説明している場合もあるかもしれません。

ここで、私は問いを変えてみたいと思います。「自社の価値を、どう伝えるべきか」ではなく、「顧客は、何をもって価値があると判断しているのか」。このように考えると、必要な仕事も変わるように思います。企業が伝えたいことを整理するだけではなく、実際の利用経験や、顧客が商品について持っている理解を確かめる必要があります。

しかし、顧客が価値を決めるのだから、企業には何もできないということでもありません。企業は商品をつくり、品質を管理し、価格を設定し、利用体験を設計しています。その働きかけは、顧客の経験や判断に影響するでしょう。

物の価値を、
どちらか一方だけが決めるのではない

  1. 01物そのものどのような特徴を持つか
  2. 02つくる人制作や販売にどう関わるか
  3. 03使う経験利用の中で何が生まれるか
  4. 04社会の意味社会や文化の中で、どのような意味が与えられるか
  5. 05評価の判断それらをどう評価するか

企業か顧客のどちらか一方だけが決めるという説明は、
単純すぎるのかもしれない。

※芸術の成立と評価に関する議論を手がかりに、筆者が商品やブランドの価値について整理した図です。芸術哲学の三人が共同で提唱したブランド戦略ではありません。

価値は、最初からそこにあるのか

冒頭の《ブリロ・ボックス》に戻ってみます。スーパーマーケットに置かれている商品用の箱と、ウォーホルの作品は、よく似た外観を持っています。しかし、私たちはそれらを異なるものとして理解します。その違いを考えるには、作品がつくられた目的や、芸術の歴史、理論、制度との関係が重要になります。一方、作品を実際に鑑賞する経験も無視できません。たとえ美術館で高く評価されている作品でも、自分には魅力がわからないと感じることがあるでしょう。そのとき、私たちはどう考えるべきなのでしょうか。

専門家が評価しているから、自分の感想が間違っているのでしょうか。
それとも、自分が魅力を感じられないから、その作品に価値がないのでしょうか。

私は、どちらにも簡単には賛成できません。芸術についての専門的な知識を得ることで、それまで見えていなかった意味を理解できることがあります。一方、詳しい知識があっても、作品の評価について異なる立場を取ることはできるでしょう。作品が芸術として成立することと、その作品をどのように評価するかを、区別する必要があります。

ここで「価値」という言葉の曖昧さが見えてきます。

芸術作品であるという位置づけ。
作品を理解するための意味。
鑑賞することで生まれる経験。
優れた作品だとする評価。
市場での経済的な価格。

これらは互いに関係する場合がありますが、同じものではありません。商品やブランドについて「価値がある」と言うときも、同じように分けて考えられるはずです。

「価値がある」という言葉は、
何を意味するのか

  1. 機能・品質どのような働きや特徴を持つか
  2. 意味・文脈どのような歴史や解釈と結びつくか
  3. 経験使う・鑑賞することで何が生まれるか
  4. 評価・価格誰が何を基準に評価するか

New Question

どう価値を伝えるか、の前に。
私たちは、何を価値として判断しているのだろう。

※筆者独自の応用図です。芸術哲学の原典にある公式モデルではありません。価値という言葉の対象を明確にすることで、伝え方の議論から、判断の前提を考える議論へ進むための整理です。

私は今回、価値という言葉を使う前に、そもそもどの価値について話しているのかを確かめる必要があると感じました。

おわりに|「価値を伝える」の前に、考えたいこと

今回、芸術作品と普通の物の違いについて考えてきました。最初の問いは、美術館に置くだけで、普通の箱は芸術になるのかというものでした。しかし、芸術哲学の議論を読んでいくと、この問いには複数の問題が含まれていることがわかります。芸術作品として成立する条件を考えること。作品が持つ意味を理解すること。作品を鑑賞することで生まれる経験を考えること。そして、作品を評価すること。これらを、一つの答えで説明するのは難しいのです。

私は、この違いを考えたとき、ブランドの仕事で使われる「価値を伝える」という言葉にも、改めて疑問を持ちました。企業が持っている価値を、顧客へ伝える。それは重要な仕事です。しかし、その価値が何を指すのかについて、十分に考えているでしょうか。

機能的な価値を説明したいのでしょうか。
商品の歴史や、制作に関わった人々について知ってほしいのでしょうか。
あるいは、利用する人の経験を豊かにしたいのでしょうか。

それぞれ、必要な情報や表現は異なるかもしれません。さらに、企業が価値だと考えていることが、顧客にとっても価値であるとは限りません。逆に、企業が重視していなかった特徴が、顧客には重要な意味を持つ場合もあるでしょう。

だから、私は今回の学習を通して、問いを少し変えたいと思います。「どうすれば価値を伝えられるか」から、「私たちは何を価値だと考え、その判断はどこから生まれているのか」へ。それは、商品に物語を追加するための問いではありません。物そのものを確かめ、背景を理解し、実際に使う人の経験を知り、どのような意味や評価が形成されているのかを考えるための問いです。もちろん、そこに一つの正解があるとは限りません。価値の判断は、時代や社会、経験によって変わることもあるからです。

美術館に置かれた箱が、芸術として扱われる。その事実を当たり前だと思わずに考えてみることで、普段使っている「価値」という言葉にも、これまでとは違う輪郭が見えてきました。

私たちは、その物に価値があるから評価しているのでしょうか。それとも、何を価値と呼ぶのかという考え方を通して、その物を評価しているのでしょうか。

参考文献・出典

家具・商品・ブランドの例は、説明用の仮想例です。哲学的な原典の議論、実証的な消費者行動研究、筆者自身の応用は区別して記述しています。

  1. Danto, A. C. (1964). The Artworld(新しいタブで開きます). The Journal of Philosophy, 61(19), 571–584. 見た目では区別できない物と芸術作品の違いを、理論と芸術史の文脈から論じた論文。
  2. Dickie, G. (1974). Art and the Aesthetic: An Institutional Analysis. Cornell University Press. 芸術の制度論を初めて体系的に示した著作。
  3. Dickie, G. (1984). The Art Circle: A Theory of Art. Haven Publications. 芸術家・作品・鑑賞者・アートワールドの関係から、制度論を改訂した著作。
  4. Dewey, J. (1934). Art as Experience. Minton, Balch & Company. 芸術を人間の経験との関係から捉えた著作。解説として Stanford Encyclopedia of Philosophy, Dewey’s Aesthetics(新しいタブで開きます)。
  5. Hagtvedt, H. & Patrick, V. M. (2008). Art Infusion: The Influence of Visual Art on the Perception and Evaluation of Consumer Products(新しいタブで開きます). Journal of Marketing Research, 45(3), 379–389. 視覚芸術が商品の知覚と評価に与える影響を検討した研究。
  6. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Definition of Art(新しいタブで開きます). 芸術の定義をめぐる議論(制度論への批判を含む)の学術解説。
  7. The Museum of Modern Art, Andy Warhol, Brillo Box (Soap Pads), 1964(新しいタブで開きます). 作品の素材と制作に関する所蔵館の情報。
  8. Philadelphia Museum of Art, Marcel Duchamp and the Fountain Scandal(新しいタブで開きます). 《泉》の提出から拒否、その後の議論までの経緯を紹介した展覧会の解説。