ある行政機関が、問い合わせ対応をAI化することを検討しているとします。導入によって、多くの住民の待ち時間が短くなります。職員の負担も減り、ほかの業務に時間を使えるようになるかもしれません。
しかし、AIによる対応が難しい住民もいるかもしれません。高齢者や障害のある人、複雑な事情を抱えている人などが、適切な支援を受けにくくなる可能性があります。全体としての成果が大きければ、その施策は正しいと言えるのでしょうか。
成果の大きさと、その成果や負担が誰にどう分けられるかは、別の問題なのかもしれません。
今回は、帰結主義と義務論という倫理学の二つの立場、そしてジョン・ロールズとアマルティア・センの議論を手がかりに、数字だけでは決められない配分の判断について考えてみたいと思います。なお、行政や企業の事例と数値は、論点を説明するための仮想例です。
結果がよければ、どのような手段でも許されるのか
何が善い行動なのかを考えるとき、私たちは何を基準にすればよいのでしょうか。倫理学には、さまざまな考え方があります。そのうち、特に重要な立場として、帰結主義と義務論があります。
帰結主義|行動がもたらす結果を重視する
帰結主義は、行為の道徳的な評価を、その行為がもたらす結果に基づいて考える立場の総称です。代表的な考え方の一つに、功利主義があります。冒頭の例でいえば、待ち時間の短縮や職員の負担軽減は、施策を評価するうえで重要です。しかし、施策全体が生み出す便益だけでなく、誰にどのような不利益が生じるのかを考える必要があります。
帰結主義は、単に多数派が喜べばよいという考え方ではありません。少数の人が非常に大きな不利益を受ける場合、その不利益も、結果を評価する際に重要になります。
義務論|結果がよくても、許されない行為がある
一方、義務論では、行動がもたらす結果だけでなく、守るべき義務や原則を重視します。例えば、行政サービスを効率化するために、特定の住民が意図的にサービスを利用できないようにするとします。その結果、全体の費用を大幅に削減できたとしても、その行為が正当化されるとは限りません。人をどのように扱うべきか、どのような権利を尊重すべきかという問題があるからです。
ただし、守るべき義務同士が衝突した場合にどう判断するかは、簡単な問題ではありません。重要なのは、望ましい結果を生み出すことが、それだけですべての行為を許す理由になるわけではないという点です。
結果を重視するか、
守るべき原則を重視するか
行政サービスのAI化を、二つの立場から考える
Consequentialism帰結主義
施策は、誰にどのような結果をもたらすか
待ち時間の短縮という便益と、支援を受けにくくなる人の不利益をあわせて評価する
Deontology義務論
結果がよくても、許されない手段はないか
費用を削減できても、特定の住民を意図的に利用できなくすることは正当化されるとは限らない
二つを並べても、自動的に正解が出るわけではない。
帰結主義は「数字が大きい方を選ぶ考え方」ではなく、義務論も結果を一切考慮しないわけではない。どちらも内部にさまざまな立場があり、どの立場を採用するかも倫理学の重要な議論の一つ。
※本文の議論をもとに整理した独自の図です。
二つの立場を比較して考える
先ほどの行政サービスの例では、多くの住民にとっての利便性も、一部の住民が必要なサービスを利用できなくなる問題も、どちらも無視できません。ただ、効率化を進めるか中止するかという二択にする必要はないでしょう。AIによる対応を導入しながら、必要な人には有人対応も残す方法が考えられます。
ただし、予算や人員が十分でない場合、必ず両立できるとは限りません。そのときには、何を優先するのかという判断が必要になります。
公平に分けることは、同じ量を分けることなのか
さらに、意思決定には、限られた資源を誰にどのように配分するかという問題があります。これは「分配的正義」と呼ばれる領域に関係しています。
例えば、ある自治体が行政の効率化によって、年間1億円の予算を新たに使えるようになったとします。その予算を、二つの目的に使いたいと考えています。一つは、デジタルサービスを利用しにくい住民のために、有人支援を維持・改善すること。もう一つは、生活に困難を抱える世帯への支援を拡充することです。
どちらも重要な目的に見えます。しかし、予算は1億円しかありません。この場合、どのように分配することが公平なのでしょうか。
半分ずつ分ければ、公平なのか
最初に考えられるのは、それぞれに5,000万円ずつ配分する方法です。二つの目的を等しく扱うという意味では、公平に感じられます。しかし、その配分によって、実際に何ができるのでしょうか。
例えば、有人支援を十分に維持するためには、最低でも7,000万円が必要だったとします。一方、生活困窮世帯への支援についても、5,000万円では重要な制度を維持できないかもしれません。そうであれば、半分ずつ分けることによって、どちらの目的も十分に達成できない可能性があります。
反対に、一方へ多く配分することで、深刻な不利益を回避できる場合も考えられます。もちろん、それだけで一方に全額を配分するべきだとも言い切れません。もう一方の支援が不足することで、別の人々が深刻な不利益を受ける可能性があるからです。
ここで重要なのは、同じ金額を配ることと、公平な状態をつくることが、必ずしも同じではないという点です。
1億円をどう分ければ、公平なのか
行政の効率化で生まれた予算を、二つの支援に配分する仮想例
配分できる予算1億円
案A|均等に配分
5,000万円ずつ
有人支援 50%生活支援 50%
金額は等しい。しかし、どちらも十分な支援を実施できるだろうか。
案B|一方へ重点配分
7,000万円 / 3,000万円
有人支援 70%生活支援 30%
一方の支援を充実できる。しかし、もう一方に生じる不利益はどう評価するのか。
配分を決める前に、確かめること
- 必要性誰が、どの程度困っているのか
- 実効性配分した金額で支援が成立するのか
- 保障最低限守るべき機会や権利は何か
- 代替案ほかの資金や実施方法はないのか
均等な配分が、
必ずしも公平な機会を生むわけではない。
どちらの配分が望ましいかは、必要性・政策効果・守るべき原則などの具体的な条件によって変わる。
※ロールズの分配的正義とセンらのケイパビリティ・アプローチを考える手がかりにした独自の図解です。いずれかの配分案を正当化する学説上の結論ではありません。
ロールズの正義論
分配的正義を考えるうえで重要な思想家の一人が、ジョン・ロールズ(1921〜2002)です。ロールズは1971年の『正義論(A Theory of Justice)』で「公正としての正義」と呼ばれる考え方を提示し、社会の基本的な制度がどのような原則に基づいて設計されるべきかを考えました。その中には、社会的・経済的な不平等が、最も不利な立場にある人々にとって最大の利益につながるように制度を設計すべきだとする「格差原理」があります。ただし、先ほどの自治体の予算配分に、格差原理をそのまま当てはめて答えを決めることはできません。
センのケイパビリティ・アプローチ
もう一つ参考になるのが、経済学者・哲学者アマルティア・センが発展させた「ケイパビリティ・アプローチ」です。この考え方では、人が保有する資源の量だけでなく、実際に何ができるのか、どのような生き方を選べるのかという可能性に注目します。同じ金額の支援を受けても、健康状態や障害の有無、生活環境などによって、その資源を活用できる条件は異なるからです。
公平さを考える手がかりも、
一つではない
ロールズとセンは、分配の何に目を向けたのか
John Rawls|1971格差原理
不平等は、最も不利な立場にある人々の最大の利益になるように
- 困っている人へ予算を優先配分するルールではない
- 社会の基本構造についての議論で、平等な基本的自由や公正な機会均等の原則と一体
合計の便益ではなく、不利益がどう分配されるかを考える視点になる
Amartya Senケイパビリティ・アプローチ
資源の量だけでなく、実際に何ができるのか
- あらゆる予算配分について、具体的な正解を示すわけではない
- どの能力や機会を重視し、どう比較するのかという問題は残る
同じ1万円でも、健康状態や生活環境によって実現できることは異なる
「公平」という言葉の、異なる使い方
- 01均等すべての人に同じ量を分ける
- 02必要性必要性の高い人を優先する
- 03総便益社会全体の便益を大きくする
- 04権利基本的な自由や権利を保障する
- 05機会人々が実際に選べる機会を増やす
これらは、必ずしも同じ結論に至らない。
どれか一つだけが常に正しいと決めることも難しい。
※Rawls『正義論』、Stanford Encyclopedia of Philosophy「John Rawls」「The Capability Approach」をもとに整理した独自の図です。
二つの議論を並べると、公平という言葉も、一つの意味で使えるわけではないことがわかります。だからこそ、公平な配分を考える際には、自分がどのような公平さを重視しているのかを明確にする必要があるのだと思います。
企業の意思決定では、何を優先するのか
ここまで、行政サービスを例に考えてきました。では、ブランドや事業の仕事では、どうでしょうか。
成果が大きくても、採用しない施策があってよい
例えば、生活者の誤解を意図的に誘うような表現によって、短期的な購入を増やせる可能性があったとします。仮に効果が実証されていたとしても、企業はその施策を実行するべきでしょうか。法律や業界の規範、顧客との信頼関係などを考慮する必要があります。私は、成果が期待できることと、その方法を採用することが望ましいかどうかを区別する必要があると思います。長期的な信頼を損なう行動が、将来的な事業成果にも影響する可能性があるからです。
ただし、倫理的に望ましい行動が、必ず経済的にも利益を生むと断定することも避けたいと思います。倫理的に守るべきだと考える原則と、事業上の成果が衝突する場合もあるでしょう。そのとき、最終的に何を選ぶのか。ここには、企業としての価値観や、経営上の責任が表れるのではないでしょうか。
価値判断の違いは、解消しなければならないのか
同じ事実を共有していても、関係者の結論が一致しないことがあります。例えば、ある施策によって事業の利益が増えることについては、全員が同意していたとします。それでも、その利益を新しい事業へ投資するのか、社員への還元に使うのか、顧客への価格引き下げに使うのかについては、意見が分かれるかもしれません。
このとき、どちらかが事実を理解していないとは限りません。何を重視するかが異なっている可能性があります。もちろん、その価値判断も、特定の人の利益だけを重視していないか、不利益を受ける人の立場が十分に考慮されているかといった点から、批判される余地があります。しかし、十分な情報を得ても、価値判断が異なることはあります。だからこそ、事実についての合意と、何を優先するかについての合意は、分けて考えたいと思います。
判断を整理するための五つの視点
現時点では、次の五つを区別して考えることが重要だと感じています。
判断を整理するための五つの視点
※特定の哲学者が提唱した公式ではありません。今回学んだ考え方を踏まえ、筆者が意思決定を整理するために考えた視点です。
ただし、この五つを確認すれば、必ず正しい答えが出るというものではありません。複数の価値が衝突するときには、何を優先したのか、その理由を説明することが必要になると思います。
おわりに|成果の大きさと、その分け方を区別する
同じ成果が期待できても、その過程で誰にどのような不利益が生じるのかによって、判断が分かれることがあります。そして、どのような行動を許すのかについて、異なる原則を持つ人々がいるかもしれません。
これは、数字を重視することが間違っているという話ではありません。例えば、行政サービスへのアクセスを保障することが重要だと考えたなら、どのような住民が利用しにくい状況にあるのかを調べ、必要な支援の規模や費用も、できる限り正確に推定しなければなりません。何を実現したいかという価値判断と、それを実現するために何が有効かという事実の検証は、互いに必要な関係にあります。
同じ量を分けることと、公平な状態をつくることは、必ずしも同じではない。最後に、自分自身へ一つ問いを残しておきたいと思います。
私たちは、成果を最大化する方法を考える前に、その成果と負担が誰に届くのかを、十分に考えているのでしょうか。
参考文献・出典
以下は、本文中の学術的な説明についての主な参照文献です。企業や行政の事例は説明のための仮想例であり、現代の実務への接続には筆者自身の解釈が含まれます。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Consequentialism(新しいタブで開きます)。帰結主義と功利主義、結果の評価をめぐる議論。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Deontological Ethics(新しいタブで開きます)。義務論の基本的な考え方と、帰結主義との違いについての解説。
- Rawls, J. (1971). A Theory of Justice(『正義論』)。公正としての正義と、社会的・経済的不平等の正当化についての基本文献。学術解説:Stanford Encyclopedia of Philosophy — John Rawls(新しいタブで開きます)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Original Position(新しいタブで開きます)。格差原理と、公正としての正義の構造についての解説。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Capability Approach(新しいタブで開きます)。アマルティア・センらが発展させた、資源の量と実質的な機会を区別する枠組みについての解説。



