あるWebサービスへの会員登録を考えてみます。登録画面には、サービスの利用に必要な情報とともに、広告メールを受け取るかどうかの選択肢が用意されています。どちらを選んでも、サービスは利用できます。

しかし、最初から「広告メールを受け取る」にチェックが入っている場合と、何も選択されていない場合では、人々の行動は変わる可能性があります。さらに、登録は簡単なのに、解約するためには複数の画面を移動し、わかりにくいボタンを探す必要があるとしたらどうでしょうか。形式上は、いつでも解約できます。しかし、実際には解約することが難しくなるように設計されているかもしれません。

ここには、興味深い問題があります。選択肢を残しているだけで、利用者の自由を尊重していると言えるのでしょうか。

誰にも禁止されていなければ、自由なのでしょうか。さらに、本人が望ましい判断をできるように企業が選択を支援することは、自由を増やすのでしょうか。それとも、自由を制限することになるのでしょうか。

今回は、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』と、行動経済学で論じられてきた「選択アーキテクチャ」を手がかりに、選択を助けるデザインと自由の関係について考えてみたいと思います。なお、冒頭のWebサービスは問題を説明するための仮想例です。

ミルは、なぜ個人の自由を守ろうとしたのか

ジョン・スチュアート・ミル(1806〜1873)は、イギリスの哲学者・経済学者です。1859年に刊行した『自由論(On Liberty)』で、個人の自由と、社会が個人に対して行使できる権力の限界を論じました。

ミルが問題にしたのは、国家による強制だけではありません。社会の多数派が持つ意見や慣習によって、個人の行動や考え方が抑圧されることにも、強い関心を向けていました。

危害原理|本人のためなら、自由を制限してよいのか

ミルの『自由論』で特に重要なのが、「危害原理(harm principle)」と呼ばれる考え方です。大まかにいえば、成熟した個人の意思に反して社会が強制的に介入することは、他者への危害を防ぐ場合に正当化され得る、というものです。

例えば、ある人が他者に重大な危害を与えようとしている場合、それを防ぐために行動を制限することには理由があります。しかし、その人自身にとって望ましくない選択だという理由だけで、強制的に行動を変えさせてよいのでしょうか。

ミルは、本人にとって幸福になるはずだという理由だけで、成熟した個人を強制することに慎重でした。なぜなら、何が本人にとって望ましい生き方なのかについて、他人が必ずしも正しく判断できるとは限らないからです。

例えば、ある人が安定した職業を辞め、収入の不確かな創作活動に挑戦したいと考えているとします。家族や友人は、その選択を心配するかもしれません。収入が減る可能性もありますし、将来の生活に不安が生じるかもしれません。その人に対して、リスクを説明したり、別の選択肢を提案したりすることには意味があります。しかし、本人が事情を理解したうえで判断しようとしているなら、周囲の人々が自分たちの幸福観を理由に、本人の選択を強制的に変更させてよいとは限りません。

本人のためという理由だけで、
自由を制限してよいのか

ミルの危害原理|誰のために介入するのか

ある人が、自分の意思で行動を選ぶ

周囲の人は、その選択を心配している

Case A

主として本人に関わる選択

不安定な仕事へ挑戦する。生活を変える。

助言・説得と、強制を区別する

本人にとって不利益がありそうだという理由だけでは、強制の正当化にはならない。

Case B

他者への危害が関わる選択

他人の権利や安全を具体的に脅かす。

危害を防ぐ介入を検討できる

危害の性質や介入の方法を確かめる必要がある。

「その人のため」と「他者を守るため」は、
異なる理由。

「他人に少しでも影響があれば制限できる」という意味ではない。人間の行動は、何らかの形で他人に影響するものだから。

※J・S・ミル『自由論』第1章・第4章をもとに、議論を簡略化した図です。ミルは、自分を奴隷として売り渡す契約を認めないなど、介入を一切否定したわけではありません。例外や介入の正当化をめぐっては、学術的な議論があります。

どこから正当な介入になるのかについては、ミルの理論の内部にも難しい問題が残ります。それでも、他人のためになるという理由だけで、その人の自由を制限してよいのかという問いは、今でも重要だと思います。

自分で失敗することにも、価値はあるのか

ミルの自由論でもう一つ興味深いのが、個性や多様な生き方を重視したことです。『自由論』第3章では、個性を人間の幸福や発展に関わる重要な要素として論じています。人々が自分の判断によって異なる生き方を試みることには、社会全体にとっても意味があると考えました。

正しい選択肢を教えるだけでは、十分ではない

例えば、ある組織が、若い社員の成長を支援しようとしているとします。管理職は、これまでの経験から、どのような仕事を経験すれば能力が伸びやすいかを理解しているつもりです。そこで、社員一人ひとりに最適と思われるキャリアを設計しました。研修内容も、担当する仕事も、将来の役割も、本人が迷わないように決めています。

実際に、その制度によって効率的に成長できる社員もいるかもしれません。しかし、すべての人にとって、その制度が望ましいとは限りません。本人が想定していなかった領域に興味を持つこともあるでしょう。管理職が向いていないと考えた仕事に、実際には大きな適性がある場合も考えられます。自分で選択し、ときには失敗することによって、初めて自分にとって大切なことがわかる場合もあります。

ここで気になるのは、成果の出やすい道筋を用意することと、本人が自分の人生を選び取ることは、必ずしも同じではないという点です。

失敗しない自由ではなく、試す自由

ミルは、個人が異なる生き方を試すことの価値を重視しました。これは、すべての挑戦が成功するという意味ではありません。むしろ、異なる選択を認める以上、望ましくない結果になることもあります。しかし、失敗する可能性があるという理由だけで、選択肢を閉ざすことには問題があるかもしれません。

例えば、ある人が独立して事業を始めようとしています。周囲から見れば、現在の仕事を続ける方が安定しているように見えるでしょう。しかし、本人にとっては、独立して何かをつくることが大切なのかもしれません。その選択が成功するかどうかは、事前にはわかりません。そして、成功しなかったとしても、そこから何も得られないとは限りません。

もちろん、失敗によって他者に重大な不利益が生じる場合には、別の検討が必要です。他人の権利や安全を損なう行動を、個人の自由という言葉だけで正当化することはできません。それでも、本人が結果を引き受ける選択について、社会がどこまで口を出すべきなのかという問題は残ります。

私は、ここに自由を考えるうえでの大切な視点があると思います。自由とは、常に正しい選択をできる状態を意味するわけではありません。自分で考え、選び、その結果から学ぶ余地があることも、自由に関わっているのではないでしょうか。

選択の設計は、行動に影響する

行動経済学者のリチャード・セイラーと法学者のキャス・サンスティーンは、2003年の論文で「リバタリアン・パターナリズム」という考え方を論じました。これは、本人の選択肢を残しながら、本人にとって望ましいと思われる方向へ選択を促すことを考える立場です。その後、彼らは、人々が選択肢をどのように提示されるかによって行動が変わることを「選択アーキテクチャ」という考え方で広く紹介しました。

例えば、何も操作しなかった場合に選ばれる初期設定を変更することがあります。また、複雑な情報を整理したり、重要な注意点をわかりやすく提示したりすることも考えられます。選択肢の並べ方や説明方法は、利用者の行動に影響を与える可能性があります。

そして、何も意図せずに画面をつくったとしても、何らかの順番や初期設定は決めなければなりません。その意味では、選択に影響する設計を完全に避けることは難しいのでしょう。

本人のための設計と、企業のための誘導

ここで重要なのは、誰の利益を目的として選択を設計しているのかという問題です。例えば、利用者が自分の状況に合ったサービスを選びやすいように、必要な情報を整理することには意味があります。契約条件や料金をわかりやすく示し、複数の選択肢を比較できるようにすることも、本人の判断を支えるでしょう。

一方、企業の売上を増やすために、不利な条件を見えにくくしたり、解約を難しくしたりすることはどうでしょうか。形式上は選択肢が残っていても、本人が十分な情報に基づいて選べなくなる可能性があります。

ただし、選択を促す設計が、すべて不当な操作になるわけではありません。人々が判断するための負担を減らし、本人の目標を実現しやすくする設計もあるからです。逆に、「本人のため」という説明だけで、その設計が正当化されるわけでもありません。本人が何を望んでいるのかを、企業が本当に理解しているとは限らないからです。

ここで、ミルの議論が再び関係してきます。本人にとって望ましい選択を支援することには価値があります。しかし、その望ましさを企業が一方的に定義してしまえば、本人の自己決定を損なう可能性があります。

自由を尊重するデザインを、どう考えるか

私は、サービスを設計する際には、単に選択肢が存在しているかだけでなく、次のことを考える必要があると思います。

利用者は、自分が何を選ぼうとしているのかを理解できているでしょうか。
選択肢ごとの重要な違いを、適切に比較できるでしょうか。
企業にとって望ましい選択だけが、目立つようになっていないでしょうか。
そして、一度選んだ内容を、合理的な負担で変更したり、取り消したりできるでしょうか。

もちろん、すべての選択肢を完全に同じように表示する必要があるとは限りません。安全上の理由から、特定の選択を避けてもらうべき場合もあります。ただし、その場合にも、どのような理由によって介入するのかを説明できることが重要だと思います。

選択を助けるデザインと、選択を操るデザイン。両者の境界は、見た目だけでは判断できません。目的、情報の提示方法、選択のしやすさ、取り消すための条件などを含めて考える必要があるのでしょう。

選べることと、選びやすいこと。
そして、選び直せること

Webサービスの申し込みと解約を例に、選択の設計を考える

Design A利用者の判断を支える

  • 選択肢をわかりやすく表示
  • 料金・条件を確認できる
  • 変更・解約の方法が明確

Design B企業に都合よく誘導する

  • 特定の選択肢だけ目立つ
  • 重要な条件が見つけにくい
  • 変更・解約が複雑

選択を尊重するための三つの確認

  1. 01理解できるか何を選び、何に同意しているのか
  2. 02選び分けられるか重要な選択肢を不当に隠していないか
  3. 03選び直せるか変更や取り消しに過大な負担がないか

※選択アーキテクチャと自律性の議論をもとにした筆者独自の整理です。具体的なデザインの正当性は、サービスの性質、利用者、介入の目的によって異なります。

おわりに|選択を助けることと、選択を決めること

最初の問いに戻ります。人の選択を助けるデザインは、自由を増やすのでしょうか。

ミルは、他者への危害を防ぐことと、本人のためという理由で選択を強制することを区別しようとしました。そして、個人が自分の判断によって異なる生き方を試み、ときには失敗することにも価値を認めました。

この議論を、現代のサービスの問題に当てはめて考えると、自由を尊重することの難しさが見えてきます。利用者のためにサービスを使いやすくしたとしても、選択を誘導する方法によっては、本人の自己決定を損なう場合があるでしょう。

一方で、他人の自由を尊重するという理由だけで、あらゆる介入を拒絶することもできません。人々は互いに影響し合いながら生活しています。誰かの選択が、ほかの人の安全や権利を損なう場合もあります。だから、自由を守るためにも、一定のルールや支援が必要になることがあります。

私は、自由を尊重することを、単に好きなようにさせることとは考えたくありません。同時に、本人のために正しい選択をさせることとも考えたくありません。

選択を助けるデザインとは、本人が何を選んでいるのかを理解でき、選び分けられ、そして選び直せる状態を整えることなのかもしれません。

そして最後に、一つの問いが残ります。

私たちが「利用者のため」と考えてつくった設計は、本当に利用者自身の選択を支えているのでしょうか。

参考文献・出典

以下は学術的な説明の主な参照文献です。働き方・企業組織・Webサービスに関する事例は理解のための仮想例であり、思想家本人が現代の企業制度やサービスデザインを直接論じたものではありません。

  1. Mill, J. S. (1859). On Liberty(『自由論』)。特に第1章(社会の権力と個人の自由)、第2章(思想と言論の自由)、第3章(個性)、第4章(社会の権限)、第5章(適用)。原典全文:Project Gutenberg(新しいタブで開きます)
  2. Stanford Encyclopedia of Philosophy, John Stuart Mill(新しいタブで開きます)。危害原理、個人の自由、国家と社会による強制、パターナリズムをめぐる学術解説。
  3. Sunstein, C. R., & Thaler, R. H. (2003). Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron(新しいタブで開きます). University of Chicago Law Review, 70(4), 1159–1202. 選択を維持しながら行動を促す設計と、その正当性についての論文。
  4. Stanford Encyclopedia of Philosophy, Paternalism(新しいタブで開きます)。本人の利益を目的とする介入と自己決定の関係、ナッジへの批判などを扱う学術解説。